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2017年5月22日月曜日

何のために勉強をするのか

こんにちは、緋那です
長らく更新をサボっちゃいました、ごめんなさい。。。

さて、今日は勉強についての話をしたいと思います。

勉強に何の意味があるんだ!

と思ったことはありませんか?

小説の登場人物の気持ちなんか作者に聞け、とか
社会に出て三角形の面積求める機会なんかない、とか
原子とか分子とか何に使うんだ、とか
鎌倉幕府が開かれた時代が1192年だからなんなんだ、とか。。。

社会に出てもろくに使わないようなことを勉強するために
9年間も義務教育があるなんて。。。と考えたことはありませんか?
高校まで進めばもっと実生活から離れていくような気さえしますね。

では、勉強をすることに意味はないのでしょうか?

もちろんそんなことはありません。
3つ、私の考える勉強が大切な理由を挙げてみます。

1、学ぶ内容そのものが大切
これは国語全般、数学の四則演算や確率、社会科、英語全般なんかが当てはまります。
国語や英語は実生活に使います。
小説の登場人物の気持ちを考えられるようになればきっと人の気持ちを考えやすくなることでしょう。
グローバル化が進んでいる今、英語が重要なのは言うまでもありません。

歴史は細かい年号や人名こそ重要ではないものの、流れはとても大切です。
何を目的として政府は何をしてきたか。その結果何が起こったか。
これらを知ることは、日本の、あるいは世界の未来を見ることにもつながります。

大人になってからの勉強はこれがメインになるのではないでしょうか。

2、学ぶというプロセスが大事
数学の図形や微分積分、理科系の応用問題あたりが当てはまるのではないでしょうか
前提条件をもとに、定理や公式などの手段を用いて、速く正確に結論を導く
勉強することで頭の使い方を訓練するのです。

また、大人になって学びたいことができたとき、
どうやって勉強したらいいかわからないでは困ります。
そうならないように、勉強の仕方を身につけて行く、という側面もあるように思います。

提出物やテストなどの期限に合わせて勉強を進める計画性、
遊びなどの誘惑に負けずに勉強をする自制心、
周りの人に教えたら教えられたりする協調性などなど、
勉強を通してさまざまな能力を伸ばすことも期待されます。

3、評価基準として重要
勉強ができる人が人間的に優れていて、
勉強ができない人が人間的に劣っている
と一概に言うことはできません。
ですが、勉強の出来・不出来は頭の使い方や上述のような各種能力の高さを反映し、
各種能力が高い人の方が関係を持った者や団体に利益をもたらす可能性が高いものです。
だからこそ評価基準として用いられることが多くあります。
点数という形で明確に比較することができるというのも評価基準となる理由の一つではあるでしょう。
なんにせよ、学生が他者に評価されるには
勉強ができる、というのが手っ取り早いわけです。

さて、上述のとおり、勉強するのは意味があると私は思うわけですが、
だから勉強を頑張った方がいいですよ
とは言いません

これを読んで、
勉強をしたいなと思えばしたらいいし、
別にいいと思えばしなくていいと思うのです。
ただ、勉強をすることが持つ意味は知っていてほしいなと思っただけなので。

自分が生きたいように、生きてください。

では、また明日。

2017年5月14日日曜日

自己肯定感という支柱

こんにちは、緋那です。

あなたは、自分のことが好きですか?
自分のことを認めていますか?

謙遜の文化が根ざす日本では、この問いへ明確に肯定を返す人は多くないでしょう。
あれが苦手だから。。。
これができないから。。。
いつもこんな失敗しちゃうし。。。
そう思ってしまう気持ちはわかります。

ですが、完璧な人間などいません。
絶対に誰にだって苦手なことはあるし、できないこと、失敗することもあるでしょう。

そういったネガティブな事象1つ1つに目を向けていたら、
自己肯定感を抱けないことはなんらおかしいことではありません。
むしろ、当然ですよね。

ですが、
本当にそれでいいのでしょうか

たとえば、あなたの周りの自信に満ち溢れている人、
自己肯定感を強く感じている人を思い浮かべてみてください。

キラキラ輝いていませんか?
魅力的だと感じませんか?
人生を謳歌しているように思いませんか?

え?それは当たり前じゃないか、って?
十分魅力的だから自信があって、
人生を謳歌しているから自己肯定感が強いんじゃないか、って?

確かに、そう見えるかもしれませんね。
実際そういう人もいるかもしれません。

ですが、ほとんどの人は逆だと思うのです。
自信があるから物事はうまくいくし、
自己肯定感があるから失敗してもそれを生かすことができるのです。

自信や、自己肯定感は人生において必要不可欠です。

未知のものに飛び込んでいく勇気、
自分の意見を主張するに足る度胸、
誰かに否定されてもへこたれない打たれ強さ。。。

これらは自信や自己肯定感から自然に生み出されてきます。

傲慢になる必要はありません。
頑張った自分を認めてあげて、
できなかったことだけでなくできたことにも目を向ける。
ただそれだけです。

ほんの少しのことを意識して、自信や自己肯定感をもって生きていきましょう。

では、また明日。

2017年5月11日木曜日

受験直前期まで毎日1時間単語、文法の勉強を続けた理由

こんにちは、緋那です。

あなたは、英単語、英文法、古文単語の勉強をちゃんとしていますか?

あなたが大学生、あるいは社会人ならば、
単語の勉強をしていたか、思い返してみてください。

私は、高校3年の冬まで、毎日1時間近く単語や文法の勉強に時間を割いていました。
いつ始めたかは定かではありませんが、高校2年の中盤だったように思います。

そんなに長くやっていたのなら、
さぞ難しい単語まで覚えたのだろうと思うかもしれませんが、
決してそんなことはありません。

英単語帳は『速読英単語 必修編』
英文法書は『スクランブル英文法、語法』
古文単語帳は『古文単語330』
を高校3年の冬にやっていました。

速読英単語には必修編より上の『上級編』がありますし、
スクランブル英文法、語法も
センター試験やMARCH、早慶、難関国公立大学向け、という形で
東大受験の英語の参考書を検索しても名前は出て来ません。
古文単語330も東大古文の参考書としては名前が上がらないような単語帳です。

では、なぜ高校3年の冬という受験勉強の完成期まで、
その3冊を毎日1時間も時間を確保してやっていたのでしょうか。

それはとても簡単なことです。
基礎を完璧にするためです

いくら東大受験といえど、
出てくる単語自体のレベルがめちゃくちゃ高いわけではありません
ほとんどの教科書で扱われていないような特殊な文法が使われるわけでもありません

難しいことを知っているかどうかより
必要なレベルのものをいかに速く、正確に使えるかが重要になってくるのです


だからこそ、単語の雰囲気がつかめればいいのではないのです
意味が即答できること、綴りが正確にかけることが求められるのです

高いレベルに到達するために基礎を完璧にする。
これは決して東大受験に限ったことではありません。
勉強に限ったことですらありません。

スポーツも、アルバイトも、同じです。
きっとビジネスも同じなんじゃないでしょうか。

どんなに複雑に絡み合っていても、
1つ1つの要素に分解すれば基本的なものばかりで、
その1つ1つの精度が上がればそれだけ全体の完成度は高くなる

基礎は時間がかかって、面倒で、退屈です。
けれどそれが完璧に身に付いてこそ、高みへ到達できる。
きっと、これは何にでも当てはまる真理なのだと思います。

今あなたがやっていることの「基礎」はなんですか?

では、また明日。

『頑張る』ために必要なもの

こんにちは、緋那です。
最近更新頻度が2日に1回くらいになってますね。
5月の目標を完全に踏みにじってますね。。。

まずは、あなたに質問です。
『頑張る』って何ですか?


辞書的には、こんな感じらしいです。

がんばる【頑張る】

( 動ラ五[四] )

〔「我がに張る」または「眼がん張る」の転という。「頑張る」は当て字〕
①あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。 「 - ・って店を持とう」 「負けるな、-・れ」
②自分の意見を強く押し通す。我を張る。 「ただ一人反対意見を述べて-・る」
③ある場所を占めて、動こうとしない。 「入口には守衛が-・っている」

(デジタル大辞林 第3版より)



①の意味は馴染みが深いですよね。
「頑張る」といえばやはり「努力する」「力を尽くす」というような意味に思うでしょう。

②、③の意味はなかなか聞かないのではないでしょうか。
私は②の意味も③の意味も知識として聞いたことはなかったのですが、
①よりも②の意味の方が本質をついているような気がするのです。

自分の意見を強く押し通す。

その表面的なものとして「努力する」「力を尽くす」という行動が現れるだけなのではないか、と思うのです。

どういうこと?
と思ったことでしょう。


自分の意見を(あるいは意志を)強く押し通す
実現させるために首尾一貫して力を尽くす

それが「頑張る」なのではないかな、と私は思うのです。

そして、
自分の意見を(他人に対して)強く押し通す
自分の考えややっていることを他人に認めさせるために
自分が目標とする水準になろうと努力する

これもまた「頑張る」なのだと思います。

つまり、強い意志に裏打ちされた目標達成のための努力、なわけです。
個人的にはそれが困難に耐えていようがいまいが「頑張る」だと思うのです。

では、頑張るためには何が必要なのでしょうか。


そう、自分の意見です。
誰かに押し付けられたのではなく、
自分の意見としてある目標を達成したいと思うこと
それが頑張るために一番必要なのです。

勉強が頑張れない、
部活が頑張れない、
仕事が頑張れない、、、


もしあなたが何か頑張りたいのに、
あるいは頑張らなきゃいけないのに、
なかなか頑張れないでいるのなら、あなた自身に聞いてみてください。

それを頑張ることはどんな意味があるのか」

誰かの受け売りではなく、
うわべだけをなぞるような『模範解答』ではなく、
あなたの言葉で、心から納得できるような答えを探してみてください。
あなたなりの答えを、
あなた自身が信じ、強く押し通したいと思えたなら、
きっと頑張れるようになっていることでしょう。

あなたが頑張れるようになることを祈っています。

では、また明日。

2017年5月9日火曜日

大切な人を自分の命で救えるとしたら。。。

こんにちは、緋那です。

突然ですが、想像してみてください。
あなたは今、崖の前にいます。
その崖は下を見ても地面が見えないほど高く、落ちたら命はないでしょう。
そんなあなたの前には、大切な人と、「敵」がいます。

「敵」はあなたに、
今お前が飛び降りたらこいつの命は助けてやる。
と言ってきます。
「敵」はさらに、あなたの大切な人にも告げます。
お前が自ら飛び降りたら、あいつの命を助けてやろう
と。

2人のうち、助かるのはどちらか1人。
あなたは、飛び降りますか?

あなたなりの答えは決めましたか?

飛び降りれる人が勇敢だとか、
飛び降りれない人が臆病だとか、
そういう話をするつもりはありません。
あなたなりの結論をどうこういうつもりは、ありません。

私が聞きたいのは、
あなたがこの問いで何を考えたのか
ということです。

あなたが飛び降りることで、大切な人の命を救うことができる。
あなたはその大切な人のために死ねるのか、
大切な人はそれだけの価値があるのか。
あなた自身の残りの人生の価値とあなたの大切な人の人生の価値とを天秤にかけたことでしょう。

ただ、実はそれ以外にも大きな問題があることにお気づきでしょうか。
あなたが大切な人の目の前で死ぬこと。
言い換えれば、あなたの大切な人があなたの命の上で生きること。
それをその人がどう感じるか、それに耐えられるかまであなたは考えたでしょうか。


大切なもののために我慢したことが、
守りたいもののために無理をしたことが、
失いたくないもののために自分を犠牲にしたことが、
逆にそれを傷つけ、苦しめることもあるのです。

まぁ、だからどうこうというつもりもないですが。
自分は大切にしましょう、ということで。

また、明日。

2017年5月8日月曜日

異性の友情は成立するのか

こんにちは、緋那です。
早速ですが、ありきたりな質問をさせていただきます。

異性の友情は成立すると思いますか?

かなり使い古されてきた問いですが、あなたはどう考えますか?

私は、成立すると思っています。
小、中、高、大と友達の少ない学生生活を送ってきました。
今なお交流のある小、中、高の友達、
特段仲のいい、気の置けない友達は男友達で3人、女友達で2人います。
つまり、半数以上が異性の友達なのです。
(大学の友達は100%同性ですが。。。)

もちろん、と言っては何ですが、
恋愛感情をお互い持ったり持たれたり、
性的な対象として見られていたり、
一般に「友情は成立しない」といわれる論拠となる感情が全く存在してこなかったわけではありません。
それでも私は彼らと友達で居続けてきましたし、これからも居続けるつもりでいます。

では、なぜそんなことが可能なのでしょう。
異性の友情は成立する論者として、個人的に思い浮かべる理由をお話しいたします。

理由その1 「異性として意識する期間」を乗り越えたから
最初にして最大の理由はこれだと思います。
異性として意識できる期間、距離感ってやっぱり限界があるのだと思います。
私は今仲良くしている男友達のうち2人に恋心を抱いていた時期がありました。
あるいは、そのうちの1人からは恋心を抱かれていた時期もありました。
けれど、私が好きになっている時期には相手に彼女がいたり、
相手が好きになってくれている時期には私に彼氏がいたり。
気が付けばタイミングが合わないまま恋愛感情は薄れていき、
けれど距離は時間を重ねるごとに縮まって行った結果、
異性として意識しなくなっていきます。
するともう恋愛対象にはならず、友情が育めるようになるのです。

理由その2 「男」として慕うのではなく「人」として尊敬するから
私は相手のことが好きで、でも相手には彼氏がいて。。。
そんな状況で「友情」を続けるのではなく、静かにフェードアウトして「諦める」という人もいるのかもしれません。
というよりは、その方が多いのではないでしょうか?
恋愛として見込みがないのなら諦めて離れるのが一般的であって、
友人としてとどまるというのはツラいという人もいると思います。

ですが、私が友人で居続けるのは、ただ単純にその人のことを尊敬しているからです。
ただ「かっこいい」とか、「優しい」とかではなく、
この人に相談すると心が楽になる、
この人といると自分が成長できる、
この人には認められていたい、
などなど、相手のことを人として尊敬しているので、
その人が自分の彼氏にならなくても、独占できなくても、一緒にいたいと思うのです。
一緒にいるうちに気づけば恋愛感情は消え、尊敬だけが共にいる理由になります。

これで、男女間の友情の出来上がりです♪

これは完全に純粋な友情ではない、とあなたは思うかもしれませんね。
たしかに、友情を育むまでの過程には不純な感情を経由しています。
ですが、最後に残るのは純粋な尊敬と友情だけなのです。

あなたは、男女間の友情を信じますか?

では、また明日。

2017年5月6日土曜日

「時間」を創り出す夢のような方法

こんにちは、緋那です。

あなたも高校時代の私のように、勉強時間が足りない、、、と悩んでいませんか?

学校から帰宅して、
晩御飯を食べて、
風呂に入って、
少しだけ勉強したらもう日付が変わる時間。。。

先生にチェックされる課題や予習だけはなんとか終わらせるけど復習まで手が回らない。
単語帳の勉強をやる時間なんてあるわけがない。
問題集を2周、3周なんてできっこない。
毎日ドラマを見ているわけでも、すごくダラダラしているわけでもないのに、
どういうわけか勉強する時間が思ったより取れない。
しょうがないから眠い目をこすって無理やりにでも時間を確保するしかない。。。

そんな風に悩んでいませんか?

睡眠時間を確保しつつ、
のんびりする時間を多少なり確保しつつ、
無理なく時間を創り出せる夢のような方法があったら、、、

復習にも時間を取れてその日の学習内容がちゃんと理解できるようになるでしょう。
単語帳に継続的に取り組んで、テスト前の一夜漬けなどという無意味なその場しのぎに頼る必要もなくなるでしょう。
テスト期間前に1通り問題集を終わらせて、
テスト週間には2周目、3周目と取り組めるようになるかもしれませんね。
好きなドラマを追いかけたり、漫画を読んだり携帯をいじったり、
勉強をしなかったことに対する罪悪感なく自分の時間を自由に使えるようにもなることでしょう。

理想的だと思いませんか?

この夢のような方法が、学生しか使えないものではなかったら
もしあなたが社会人になっても(あるいは今のあなたが社会人でも)この方法は変わらずあなたに時間をもたらしてくれるとしたら。

最高だと思いませんか?

実は、そんな夢のような方法がこの世には存在するのです。

あなたの理想のタイムスケジュールをかくのです

何時に起きて、
何時に朝ご飯を食べ、
何時に身支度し、
何時に家を出て、
何時に学校(あるいは会社)につき、
何時に下校(あるいは退社)して、
何時に家について、
何時に晩御飯を食べ、
何時にお風呂に入り、
何時に勉強して、
何時にダラダラするのか。

できれば5分刻みで。少なくとも15分刻みくらいで書いてみましょう。
するとあら不思議。
朝ご飯から身支度の間に空白の10分があること、
家についてから晩御飯を食べ始めるまでのタイムラグを持て余していること、
晩御飯とお風呂合わせてなぜか2時間半もかかっていることなどなど、

これまで無駄にしていた時間に気づくことができるのです。

無駄にしていた時間に意識的になれば、今度はそれを排除することができるのです。
娯楽はダラダラタイムに押しやって、それ以外の時間をキビキビ動くのです。

それも、何時から何をするのか決めていますから、1つの行動が終わってから、
「次は何をしようか」などと悩む必要もありません。

これで、1日1時間以上は捻出できるのではないでしょうか。
だまされた、と思ってぜひやってみてくださいね。

さて、今日はここまで。
ではまた明日。

2017年5月5日金曜日

なぜ先輩を敬わなければいけないのか

こんにちは、緋那です。
今日は部活の試合がありました。

先輩は、敬うべきものでしょうか?
この問いに、大抵の人は肯定を返すでしょう。
「当たり前だ」と思うのではないでしょうか。

では、
なぜ先輩を敬わなければいけないのでしょうか?



当たり前だ、といえる答えは思いつきますか?

こんなことを直接先輩に聞いたら、
「年長者を敬うのは当然だ」
「常識的に考えればわかることだろう」
と言われてしまうかもしれません。
(そんな言い方で収めようとする先輩はどうかと思いますが)

もちろん、敬う理由は人それぞれでもいいと思うのですが、
小、中、高、大で運動部に所属してきた運動部歴12年の私なりの答えは

「自分が先輩の恩恵を受けているから」です。

運動部を例にしてみましょう。
先輩は、その部で練習している期間が長い分、プレーがうまいです。
その先輩のプレーを見て学ぶのは後輩の特権ですし、
後輩のプレーに対してアドバイスをしてくれることもあります。
後輩を含めた部活全体の雰囲気をまとめ上げ、盛り上げるのは先輩の仕事です。
後輩が悩んでいたら、調子悪そうにしていたら、声をかけて解決策を模索してくれることでしょう。
練習メニューを先輩が考えていることもあるでしょう。

単純に「年長者だから」「プレーがうまいから」敬わなくてはいけないのではありません。
「先輩方のおかげで今の部活がある」
「先輩方のおかげで自分が成長できる」
から敬わなくてはいけないのです。
と、言うより、それを自覚してしまえば
敬わなくてはいけない、のではなく、敬わざるをえない、のです

そして、逆に先輩は敬われるだけの存在でなくてはなりません。
上述のようなことをする義務があります

後輩を「言うことを聞く下僕」として見るなどというのはもちろんもってのほかです。
後輩ひとりひとりを1人の人として尊重し、寄り添い、高みに上る手助けをしなければなりません。

あなたは、先輩を敬っていますか?
敬われるべき先輩になっていますか?

これは、なにも部活に限ったことではありません。
社会に出てからも変わらないのではないでしょうか(私は大学生ですがw)
交友関係にまで拡大して、友人を敬えるような人間でありたいですね。

では、今日はこの辺で。
また、明日。

2017年5月4日木曜日

覚悟とは、何か。

こんにちは、緋那です。
今日は私の好きな漫画を紹介したいと思います!

少し古いのですが、、、

スパイラル~推理の絆~
(出版:スクウェア・エニックス、原作:城平 京、作画:水野 英多)

です!

連載は1999年の8月から2005年の10月まで(Wikipediaより)、ということで。。。

連載開始時の私は2歳か!(;゚Д゚)

思いがけず驚きの真実を知ってしまいました。。。
さて、私の驚きはどうでもいいですね。

ジャンルとしては「ミステリ漫画」なのですが、いわゆる推理なのは最初だけ。
回を重ねるごとに銃あり、爆弾あり、ナイフありの戦闘漫画に変容していきます。
とはいえ単純な戦闘だけに終始するのではなく戦略を練る議論の場面がしっかりと描き出されており、原作者はそこを指して「ミステリ」と言い張っていました。

少年漫画が好きな私としてはその戦闘シーンも好きなわけなのですが、
このシリーズが好きな理由は他にあります

それは
覚悟が強く強く描かれているからです。

成し遂げるための覚悟。
世界を救うための覚悟。
信じると決めた覚悟。
戦うことを決めた覚悟。

登場人物一人一人の抱く覚悟がまざまざと見せつけるように描かれています。
そして、その覚悟に至るまでに描かれる葛藤との落差が大きければ大きいほど美しい。

こんな生き方をしたい、こんな人になりたい、と思わせてくれるシリーズになっています。

結構古い漫画になって、今や中古本屋で安く売っているのでもしよければ読んでみてほしいです。

また、読み直したいな。。。

では、今日はこの辺で。
また明日。

2017年5月2日火曜日

鏡の中の自分のほうが写真よりも好きな理由

こんにちは、緋那です。
最近私はセールスライティングの勉強をしています。
その一環として今日は「影響力の武器」という本を読んでいたのですが、
長年の疑問が驚くほどきれいさっぱり氷解してしまったので感動しました。

その疑問についてお話しする前に、あなたに質問です。

 あなたは、鏡の中の自分と写真の中の自分、どちらが好きですか?

きっとあなたは鏡の中の自分のほうが好きなのではないでしょうか。

私も、そうなのです。
昔から鏡の中の自分のほうが好きでした。
写真の中の自分が思っているよりブサイクすぎて、
「なんて写真写りが悪いんだ」と憤ることばかりで、写真に写ることが嫌いなほどです。
鏡で見ている自分はそんなに悪くないのに、写真で見ると自分の顔に納得がいかなくなるのです。

それは、写真を撮られなれていないからだと思っていました。
撮られなれていないから、写真の中の自分はぎこちない表情になってしまうのだと思っていました。
しかしそうやって納得したふりをしながらも、「それにしても、違いすぎないか」とも思っていました。


そしてその疑問は今日解き明かされました。


私は自分の顔を、見慣れていなかったのです。

もちろん、私は毎日鏡で自分の顔を見ています。
朝顔を洗う時は当然鏡を確認しますし、
大抵の水道には鏡が目の前についていますから、無意識に自分の顔が視界に入るでしょう。
道路わきの喫茶店のガラスに映る自分の顔が目に入る時もありますし、風呂に入る時にも鏡は目の前にあります。

そんな風に毎日何度も何度も自分の顔を目にしていたにもかかわらず、
左右反転していない自分の顔はほとんど見ていなかったのです。
写真嫌いですから、月に1度ほども見ていなかったかもしれません。

だから私は写真の中の自分の顔が嫌いだったのです。
写真嫌いで写真に写った自分の顔を見ないから、私は写真に写ることが嫌いだったのです。

。。。
きっとまだあなたの頭の中には?マークがいくつも並んでいることでしょう。
なにせ、私は大切な原則を説明していないのですから。。。

その原則とは
私たちは馴染みのあるものに対し好意を感じる 
というものです。

だから私は、見慣れている鏡の中の自分のほうが、見慣れない写真の自分よりも好きだったのです。

あなたは、鏡の中の自分と写真の中の自分、どちらが好きですか? 
鏡の中の自分のほうが好きなのではないですか?
もし写真の中の自分のほうが好きだとしたら、
あなたはよく自撮りをしたり、家族との写真が家に飾られてあったり、と
写真に写った自分の顔を、頻繁に見たりしていませんか?

ということで、今日はここまで。
また、明日。

2017年5月1日月曜日

今月の目標~2017年5月~

こんにちは、緋那です。


今日から5月です。
部活で毎月自己目標を立てるのですが、これまで日常生活には目標を立ててきませんでした。
ですが、やはり人間は目標が明確にあったほうが努力しやすいもの。
ということでブログを始めたことを機に、毎月の目標を立てることにします。

1、毎日ブログを更新すること
 
これで投稿も4件目にはなりますが、今のところページビューは私のみ。
まあ、SNSで拡散していませんし、ほかのブログと相互リンクしているわけでもないですし、
「東大生の頭の中」で検索してみてもヒットしないわけですから、まあ当然というべきでしょう。
今見ている人がいなくても、そのうち誰かの目に触れると信じて、今はまず書き続けられるようにしたいと思います。

2、5時半に起きる朝型の生活にシフトすること 

一日生きると誰しも疲れます。
だから夜は眠いし、集中力も続きません。
受験期には眠い時に寝て朝は早く起きて朝から勉強していました。
大学生になって、授業後に練習する部活に入り、自然と夜型生活になりましたが、

「あれ? 受験期のほうが勉強する時間ちゃんと取れてたぞ。。。?」

ということに最近気づき、朝型生活に戻そうとしています。

自己啓発本などを読んでいても、やはり朝型を推奨するものは多いですし、
一度やってみる価値はあると思いますよ。

ついでに、これは実は4月下旬くらいから取り組み始めていたのですが、
早寝遅起きが1週間くらい続き、ようやく最近1回だけ5時半起床に成功しました。
睡眠不足が解消されてきた感じですね
 
3、部活に行けなかった日はランニングすること

授業の実験が長引いて部活に行けない日々が続いています。
土日しか部活に行けない、というような状況になってしまっており、
久しぶりの部活は体力的にきつい!

それも、もうすぐ試合あるし!

ということで、部活に行けなかった日はランニングします。
ただ、それだけ。
こんなところで宣言するほどでもない内容ですね。
ブログを読んでいるあなたからしてみれば、だからなんやねん、みたいな。

3つ目に限らず、どれも「そんなこと宣言されてもなぁ」というような感じですよね。
でも、こうやって宣言しておくとやっぱりやらなきゃなぁという気分になるものなのですよ。
だから今日は、私自身のために宣言してしまいました。

さてさて、今日はこんなところで。
また明日。