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2017年6月30日金曜日

「変」と言われる孤独

こんにちは、緋那です。

今日は少し、というかかなりパーソナルな昔話でもしようかと思います。

中学・高校時代、私は長く孤独感に苛まれていました。
友達は何人かいることにはいたのですが、
それ以上に周囲の人たちから向けられる

『私たち』とは違う

と言わんばかりの言動に、
世界から爪弾きにされたような、
強い疎外感を感じていました。

いや、もちろん全く同じ人間なわけではないんですけど、
「変わってる」
「特別」
「緋那はいいよね」
なんて言葉で見上げられて、
同じ世界に生きていることを認めてもらえないような、
私と世界との間に一線引かれるような、
そんな感覚をいつも感じながら、生きていました。

けれどそれも今思えば、当然のことだったのかもしれません。
私が通っていた中・高はしがない地方の公立校。

住んでいる校区で機械的に分けられただけの中学でも、
いわゆる超難関・難関大学への進学率は決して高いとはいえない高校でも、
東大に受かるような「頭のいい」生徒は多くなく、
女子の世界に限ればほとんどいなかったのです。

中学・高校での評価で一番大きな比重を占める「勉強」において、
自分よりも圧倒的に高い水準の人間を考えに入れていたら、
自分が「できない人間」になってしまうから。

あるいは、自分の持つ価値観と大きく異なる価値観を持って生きる人と一緒に生きるのは苦痛だから。
自分とは違いすぎる価値観を理解しようとして、努力するのは大変だから。
違う価値観に触れて、自分の価値観が揺るがされるのが怖いから。

だから、隔離した。

きっと防衛本能だったんだろうと思います。


そんな疎外感が薄れたのは、
とある友人との出会いと、東大への入学でした。

その友人は、高校卒業後にそのまま就職することになっていました。
彼にとって勉強は大事なことではありませんでした。
そして彼にとって、人の価値観が自分と違うのは当たり前のことでした。

東大の人たちは
私よりもよっぽど頭がいい人ばかりですし、
大学という性質によるものなのか、東大という性質によるものなのか、
自分と違う価値観を受容することに抵抗がない人が多く、
それどころか自分の価値観と比較し、討論する人が多いように思います。

もしもあなたが私と同じように悩んでいるとしたら、
東大に入ってみるといいかもしれません。
あるいは「友人」のような人を探してみてもいいかもしれません。

もしもあなたの周りに、私と同じように悩んでいそうな人がいたら、
私はあなたと同じ世界に生きていると思っているよ、と伝えてあげてください。
それだけでもきっと救われるはずです。

では、長くなりましたが、また日曜日に。

2017年6月26日月曜日

ゴレンジャー

こんにちは、緋那です

私は今3年生で、来年4年生になります。
それに伴って、私の代から1人主将を出すことになるのですが、
その話し合いが昨日行われました。

結論から言うとそもそも主将に立候補すらしなかったので
私が主将になることは当然なかったのですが、
私は部にとってどういう存在であるべきかなぁなんてことを
考えるきっかけにはなりました。

いわゆる戦隊ものはゴレンジャーで成り立っているものが多くて、
だいたい下みたいな感じになっています

情熱、行動力でぐいぐい引っ張っていくレッド
冷静に全体を俯瞰して方向を修正するブルー
グループ内での衝突が起こらないように立ち回るグリーン
おちゃらけたキャラで場を楽しませるイエロー
華やかさや癒しを与えるピンク

もちろんリーダーはレッドで一番目を引くのもレッドなのですが、

誰もがレッドである必要はない

のです。

当たり前といえば当たり前ですよね。

レッドだけの戦隊グループとか、見るに堪えない気しかしません。
集団としてまとまるイメージが持てません。

で、私は何かなーと考えると
レッドのように誰かを引っ張っていくようなモチベーションはぶっちゃけないし、
ブルーほど冷静でも視野が広い人間でもないし、
グリーンみたいに衝突が起こらないように立ち回るとか苦手分野の極みだし、
ピンクの華やかさ、やさしさ、包容力的なものを持ち合わせてるとは到底思えないので

まぁ、イエローかなと。

辛い時こそ、力強く笑ってみせる。
いるだけで場が活気づくような、
話すと自然と元気をもらえるような、
そんな存在になってみせる。
誰よりも身近で話しやすい先輩になってみせる。

あなたは、今いる集団の中でどんな人なのでしょうか?

では、また水曜日に。

2017年6月22日木曜日

悔しい、という感情

こんにちは、緋那です。

私は悔しいの塊です。

高校時代、
問題を解けなかったことがとにかく悔しくて、
だからこそ次こそは絶対解いてやる!と躍起になり、
どこがわからなかったのか、どうしたらよかったのか、
同じ問題に再挑戦するときは、強く記憶に残っていることが多かったのです。
すると大概の問題は2回目には解けるようになり、
4,5回も解き直してなお解けない、という問題はほとんどなかったように思います。

部活でも、
勉強でも、
バイトでも、
人間関係でも、
向上心の源の大部分を「悔しい」が占めていたように思います。

一方で私の友達に、「悔しい」という感情が理解できないという人がいます。

彼は、何かうまくいかなかったことは自分の力不足であり、
次回以降不足部分を補えばいいだけのことだから
「悔しい」という感情を抱くことがない。それどころか、理解できない。

「怒られて悔しいと思わないのか?」と上司に言われても、「はい」としか答えられない

というのです。


そこで思うわけです

悔しいって何だろう

どうして人は悔しいと思うのか、
どういうときに悔しいと思うのか、
悔しいと思うことにどれほどの意味があるのか、
悔しいと思わないことは間違ったことなのか。。。

完全に持論なのですが、

結果に自信があるとき、予想に反して悪かった結果に対して本能的に拒絶する感情

が、悔しいなのではないかなと思うのです。

結果に自信がある、というのの根拠は
一度成功させたことがあること、かもしれないし
できる限りの努力をしたこと、かもしれないし
地頭や能力への自信、かもしれませんが、
なんにしても「達成できるだろう」「達成するに違いない」と思っていることに対して
実際の結果が伴わないと悔しく感じるのではないでしょうか。

そして悔しいというのは不快な感情です。
できれば、二度とは味わいたくない感情だと思います。
だからこそ同じ過ちを繰り返さないように努力し、結果は改善されていくのです。
悔しい、という感情は成長を促してくれるものだと思うのです。

悔しい、と思わなければ成長はない、とまで言うつもりはありません。

成長して目標を達成することができれば
楽しい、あるいは嬉しいでしょう。
あるいは誇らしいかもしれません。

それらを理由に努力し向上心を持つことは可能だと思います。

しかし、一般的に人は「得る」ことを望む気持ちよりも
「失う」ことを恐れる気持ちのほうが強いと言われています。
何かを夢見る向上心よりも、
悔しさを避けんとする向上心のほうが強い場合が
往々としてあるのではないでしょうか。

できないことを悔しく思うことは、成長に役に立つのではないかと思います

また更新が遅くなってしまった。。。
また寝落ちしてしまった。。。
またやるべきことを後回しにしてしまった。。。

今日も悔しい気持ちをもって、頑張っていきます!

では、また日曜日に。

2017年6月21日水曜日

とうとうこの季節がやってきた

こんにちは、緋那です。

梅雨、ですね。
完全に空梅雨ですが。

梅雨の季節ということはつまり梅の季節なわけで、

つまり、梅酒の季節なわけです

去年の秋に成人した私にとっては初めての梅酒の季節です。

私の趣味のひとつが果実酒を漬けることで、
おまちかねの梅酒の季節にテンションがかなり上がっています。

女子大生にしては渋い趣味だなー、と自分でも思ったりしてるわけですが
果実酒を漬けるのって本当に楽しいんですよ。

例えば梅酒なら

梅の産地、品種(南高梅が結構多いと思いますが、群馬産とかもあります)
梅の熟度(青梅か完熟梅か)
使う砂糖(氷砂糖、黒糖、はちみつなんてものもあります)
使うお酒(ホワイトリカー、焼酎、ウイスキー、ブランデー、ラム酒、ウォッカ、ジン)
配合比
梅を取り出す時期

などなど、いくらでも条件を変えることができるのです!

スーパーや八百屋を回ってお手頃で美味しそうな梅を探したり、
スーパーや酒屋を回って出来上がりを想像しながら原料のお酒を探したり、
結局今回の梅酒づくりには材料の調達だけで5時間かけちゃいましたw

果実酒づくりの醍醐味は1回漬けたらそれで終わり、というわけではもちろんありません。
飲める時期(3か月くらいから飲めるようです)を待つ間には
時間が経つにつれて変わっていく色、香りを楽しみ、
飲めるようになってからも、
違う原料で漬けた梅酒の飲み比べはもちろん、
3ヶ月、6ヶ月、1年と期間の長さによる味の変化も楽しめます。

今年は、
青梅(1㎏)×黒糖(500g)×ホワイトリカー(1.8L)
黄梅(500g)×氷砂糖(500g)×米焼酎(0.7L)
黄梅(500g)×氷砂糖(500g)×ウイスキー(0.7L)
で漬けますが、どんなお味になるのか。。。

期待に胸が膨らむばかりです。

さて、普段とは少し毛色が違う気はしますが、今日はこんな感じで。
また、次回。

2017年6月15日木曜日

友達、ってなんだろう

こんにちは、緋那です

突然ですが、私は友達が少ないです。

友達と呼べるような人は
地元に4人、東京に3人、関西に2人、
といったところでしょうか。
(あ、意外と多い。。。)

正直なところ、
今一緒に部活をやっているメンバーは
基本的に「同期」であって、「友達」ではありません。
学部にも友達はいません。
寮住まいなのですが、寮にも友達と呼べるような人はいません。

「冷たい人」とか「寂しい人」というような印象を持たれるかもしれませんが、
情がないとか、孤独を愛するとか、そういう人間では決してないのです。

私にとって友達とは、

一緒にプライベートな時間を過ごしたいと思う人

なのです。

ワイワイみんなで楽しく騒ぐとか、
一緒に行く人がいないからとりあえず誘ってみるとか、
コミュニケーションが足りないから食事の場を用意しようとかではなく。

その人に会いたいから。
その人と話したいから。
その人といると居心地が良いから。

遊んだり、食事をしたり、まったりしたり。
自分から誘って、プライベートな時間をその人と一緒に過ごしたいと思えるような人。
それが私にとっての友達なのです。

そんな人、なかなかいなくないですか?

広辞苑的には
「友達」は「親しく交わっている人」らしいですが。
私的には
「友達」は「一緒にプライベートな時間を過ごしたいと思う人」ですが。

あなた的には
「友達」は何ですか?

一度考えてみても面白いかもしれませんね。

コメントしてくれると喜ぶかもしれません。
いろんな人の考えに触れるのは面白いですからね。

では、今日はこんなところで。
すこし更新が遅くなってしまってすみません。

2017年6月11日日曜日

明日

こんにちは、緋那です。

明日やることは決まっていますか?

もう今日も遅い時間ですし、ほとんどの人が決まっているでしょうね。

では、

明日があることは決まっていますか?

もうあと1時間もしないうちに明日がきてしまいます。
おそらく、これを見ている人のほとんどが明日を無事迎えられることでしょう。
でももしかしたら、そのわずかな時間に、

心臓発作で死ぬかもしれない。
睡眠時無呼吸症候群で死ぬかもしれない。
寝煙草が家に引火して死ぬかもしれない。
強盗が入ってきて死ぬかもしれない。
大地震が起きて死ぬかもしれない。

明日が来る保証なんて実はどこにもないんですよ。
人間、いつ死ぬかなんてわからない。


だから、

いつ死んでも心残りのない人生を送ってください




なんて言うつもりはありません。

いつ死んでも心残りのない人生を生きてたら、
もし明日が来てしまったときに生きられないですから。
心残りこそが毎日の生きる力の源泉でしょうよ。

いやそもそも、○○しましょう、なんて上から目線で言うこと自体、
おこがましいというか、性には合わないんですけどね。

とはいえ、多くの人がこうなってしまっているのではないかなと思うのです。

もちろん皆忙しいと思うので、
「やらなきゃいけないこと」なんかいっぱいあって、
それはもちろん残っているんだと思うんですけど、
死ぬ直前に思い出されるような、

せめてあとこれだけは、、、

なんていう心残りって
実はないんじゃないかなって思うんです。

ただ、「幸せ」という観点で見れば
ある方が幸せなのか、ない方が幸せなのか。
それは本当に人それぞれな気はしますけど。

個人的には、

いつ死んでも後悔はなくて心残りはある

みたいな人生を生きたいと思ってます
実際は後悔ばっかり、ですけど
心残りは、まぁ、それなりに、ありますね

さて、今日はこんなところで
また、次の水曜日に。

2017年6月7日水曜日

働き始める

こんにちは、緋那です。

私は今大学3年生で、絶賛進路考え中です。
大学を卒業して就職するのか。はたまた大学院に行くのか。

正直なところ、自分の専攻に関係した職業に就く気はあまりありません。
では、大学院に行かないで就職してしまえば、とも思うのですが、
あと2年親のすねをかじって自由な身分で居られると思うと、
院進したいなと思わないではありません。

そんなことを悶々と考えているうちにふと思いました。

専攻に関係のある職業に就く人はどのくらいいるんだろう

と。

医学部医学科や法学部など、国家試験に通じる学部なら
ほとんどの人が専攻に関係した職業に就くのかもしれませんが。

会社で言えば
コンサルティング会社、商社、広告代理店、シンクタンク、各種メーカー。。。
職種で言えば
コンサルタント、営業、新規事業開発、データサイエンティスト。。。

大学での専攻なんて関係のない学科不問の求人がゴロゴロあります。

つまり多くの企業は

大学で身に着けた専門的な知識、技能を人材に求めていない

わけです。
(もちろん、例外はあります。「多くの企業は」というだけです)

ですが、そういった企業のほとんどは大卒以上を採用します。

大学での専門的な学習を必要としないのに
高卒では採用しない

というわけです。

ではなぜ大卒生しか採用しないのでしょう?

大学を卒業したら最低でも22歳。
そのくらいの年齢まで成熟した人が欲しい。

専攻云々ではなくて、大学教育の中で共通に学べる”教養”を持った人材がほしい。

大学で人生経験を積んだ人材が欲しい。

もっともらしく聞こえますね。

ですが、実は大学1年生から長期インターンシップが可能な会社は結構あるのです。
そして、そういった会社も高卒生向けの求人を出していない。

これって矛盾してませんか?
大学1年生が働けるなら高卒生も十分働けるはずじゃないですか。

会社側にしてみたらインターンシップ生は正社員よりも
給料的にも安いし
各種福利厚生もいらないし
一生養っていく覚悟がいらない
みたいなところはあるのかもしれませんが...

高卒での就職の現状は、正直厳しいものだと思います。
基本的には肉体労働。一生現場。
そんなイメージです。

だからこそ”優秀な人材”は、大学に行く。
たとえそこで、将来に生きない勉強をすることになるとしても。
大学で勉強したことが将来に生きるのではなくて
大学に行くことが将来に生きるのだから。

そして、企業は”優秀な人材”である大卒生、あるいは大学院卒生を雇用する。

きっとそんなところだろうと思います。

でも、それが社会にとって本当にいいのでしょうか?

少子高齢化が進んで、働き手の減少が叫ばれている昨今、
定年の年数を伸ばしたり、定年後も働ける会社が出てきたりと
高齢者を働かせる動きはよく見られますが、
子供を働かせる気はないんでしょうか。

例えば、東大に入れるポテンシャルをもつ高校生が、
高卒で働きたいと思えるような就職先があれば。
大学に通うはずの4年分、働いてもらえば。
きっと将来に生きない専攻を学んで、
単位だけ拾い集める大学生活を4年間送るより
よっぽど本人の力にもなるし、社会のためにもなると思うのです。

もちろん、大学が不必要だというつもりはありません。
研究機関としての大学も、研究者を育てる教育機関としての大学も、必要だと思います。

けれど、こんなに多くの人が大学に通う必要はないんじゃないかなーと思うわけです。

まぁ、だからといって私に何ができるわけでもありませんが。

今日はこんなところで。
また、日曜日に。

2017年6月5日月曜日

今月の目標〜2017年6月〜

お久しぶりです。
緋那です。

またしても2週間ほど投稿が滞ってしまってすみません。。。

とりあえず月が変わったことですし、目標の反省と新しい目標をば。

先月の目標は
1. 毎日ブログ更新
2. 5時半に起きる朝型の生活
3. 部活ができなかった日はランニングする

だったわけですが。。。

3.しかできてない(^◇^;)

原因は割と明白で、
1.も2.もハードルが高すぎたんですよね

普段ランニングしてない人間がいきなり、フルマラソン走ろう、みたいな
ちょっとずつちょっとずつ慣れていくようにしなきゃなぁという反省です

ということで6月の目標は!

1. 毎週水曜、日曜の週2回のブログ更新
2. 12時までに寝る健全な生活
3. 「その話を聞きたいか」を考えて話す

ということで、まずは小さいことから。
なお、3.は話してばっかりの自分をちょっとだけでも変えるために。

まぁ、そんなこといってたらこんなブログやってられないんですけどね。。、
人の目標なんか聞きたいかって聞きたいとも思わないだろうし。。。

そこは大目にみて下さいな、ということで。

ではまた。次は水曜日に。