こんにちは、緋那です。
突然ですが、想像してみてください。
あなたは今、崖の前にいます。
その崖は下を見ても地面が見えないほど高く、落ちたら命はないでしょう。
そんなあなたの前には、大切な人と、「敵」がいます。
「敵」はあなたに、
今お前が飛び降りたらこいつの命は助けてやる。
と言ってきます。
「敵」はさらに、あなたの大切な人にも告げます。
お前が自ら飛び降りたら、あいつの命を助けてやろう
と。
2人のうち、助かるのはどちらか1人。
あなたは、飛び降りますか?
あなたなりの答えは決めましたか?
飛び降りれる人が勇敢だとか、
飛び降りれない人が臆病だとか、
そういう話をするつもりはありません。
あなたなりの結論をどうこういうつもりは、ありません。
私が聞きたいのは、
あなたがこの問いで何を考えたのか
ということです。
あなたが飛び降りることで、大切な人の命を救うことができる。
あなたはその大切な人のために死ねるのか、
大切な人はそれだけの価値があるのか。
あなた自身の残りの人生の価値とあなたの大切な人の人生の価値とを天秤にかけたことでしょう。
ただ、実はそれ以外にも大きな問題があることにお気づきでしょうか。
あなたが大切な人の目の前で死ぬこと。
言い換えれば、あなたの大切な人があなたの命の上で生きること。
それをその人がどう感じるか、それに耐えられるかまであなたは考えたでしょうか。
大切なもののために我慢したことが、
守りたいもののために無理をしたことが、
失いたくないもののために自分を犠牲にしたことが、
逆にそれを傷つけ、苦しめることもあるのです。
まぁ、だからどうこうというつもりもないですが。
自分は大切にしましょう、ということで。
また、明日。
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