こんにちは、緋那です。
今日は少し、というかかなりパーソナルな昔話でもしようかと思います。
中学・高校時代、私は長く孤独感に苛まれていました。
友達は何人かいることにはいたのですが、
それ以上に周囲の人たちから向けられる
『私たち』とは違う
と言わんばかりの言動に、
世界から爪弾きにされたような、
強い疎外感を感じていました。
いや、もちろん全く同じ人間なわけではないんですけど、
「変わってる」
「特別」
「緋那はいいよね」
なんて言葉で見上げられて、
同じ世界に生きていることを認めてもらえないような、
私と世界との間に一線引かれるような、
そんな感覚をいつも感じながら、生きていました。
けれどそれも今思えば、当然のことだったのかもしれません。
私が通っていた中・高はしがない地方の公立校。
住んでいる校区で機械的に分けられただけの中学でも、
いわゆる超難関・難関大学への進学率は決して高いとはいえない高校でも、
東大に受かるような「頭のいい」生徒は多くなく、
女子の世界に限ればほとんどいなかったのです。
中学・高校での評価で一番大きな比重を占める「勉強」において、
自分よりも圧倒的に高い水準の人間を考えに入れていたら、
自分が「できない人間」になってしまうから。
あるいは、自分の持つ価値観と大きく異なる価値観を持って生きる人と一緒に生きるのは苦痛だから。
自分とは違いすぎる価値観を理解しようとして、努力するのは大変だから。
違う価値観に触れて、自分の価値観が揺るがされるのが怖いから。
だから、隔離した。
きっと防衛本能だったんだろうと思います。
そんな疎外感が薄れたのは、
とある友人との出会いと、東大への入学でした。
その友人は、高校卒業後にそのまま就職することになっていました。
彼にとって勉強は大事なことではありませんでした。
そして彼にとって、人の価値観が自分と違うのは当たり前のことでした。
東大の人たちは
私よりもよっぽど頭がいい人ばかりですし、
大学という性質によるものなのか、東大という性質によるものなのか、
自分と違う価値観を受容することに抵抗がない人が多く、
それどころか自分の価値観と比較し、討論する人が多いように思います。
もしもあなたが私と同じように悩んでいるとしたら、
東大に入ってみるといいかもしれません。
あるいは「友人」のような人を探してみてもいいかもしれません。
もしもあなたの周りに、私と同じように悩んでいそうな人がいたら、
私はあなたと同じ世界に生きていると思っているよ、と伝えてあげてください。
それだけでもきっと救われるはずです。
では、長くなりましたが、また日曜日に。
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