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2017年6月22日木曜日

悔しい、という感情

こんにちは、緋那です。

私は悔しいの塊です。

高校時代、
問題を解けなかったことがとにかく悔しくて、
だからこそ次こそは絶対解いてやる!と躍起になり、
どこがわからなかったのか、どうしたらよかったのか、
同じ問題に再挑戦するときは、強く記憶に残っていることが多かったのです。
すると大概の問題は2回目には解けるようになり、
4,5回も解き直してなお解けない、という問題はほとんどなかったように思います。

部活でも、
勉強でも、
バイトでも、
人間関係でも、
向上心の源の大部分を「悔しい」が占めていたように思います。

一方で私の友達に、「悔しい」という感情が理解できないという人がいます。

彼は、何かうまくいかなかったことは自分の力不足であり、
次回以降不足部分を補えばいいだけのことだから
「悔しい」という感情を抱くことがない。それどころか、理解できない。

「怒られて悔しいと思わないのか?」と上司に言われても、「はい」としか答えられない

というのです。


そこで思うわけです

悔しいって何だろう

どうして人は悔しいと思うのか、
どういうときに悔しいと思うのか、
悔しいと思うことにどれほどの意味があるのか、
悔しいと思わないことは間違ったことなのか。。。

完全に持論なのですが、

結果に自信があるとき、予想に反して悪かった結果に対して本能的に拒絶する感情

が、悔しいなのではないかなと思うのです。

結果に自信がある、というのの根拠は
一度成功させたことがあること、かもしれないし
できる限りの努力をしたこと、かもしれないし
地頭や能力への自信、かもしれませんが、
なんにしても「達成できるだろう」「達成するに違いない」と思っていることに対して
実際の結果が伴わないと悔しく感じるのではないでしょうか。

そして悔しいというのは不快な感情です。
できれば、二度とは味わいたくない感情だと思います。
だからこそ同じ過ちを繰り返さないように努力し、結果は改善されていくのです。
悔しい、という感情は成長を促してくれるものだと思うのです。

悔しい、と思わなければ成長はない、とまで言うつもりはありません。

成長して目標を達成することができれば
楽しい、あるいは嬉しいでしょう。
あるいは誇らしいかもしれません。

それらを理由に努力し向上心を持つことは可能だと思います。

しかし、一般的に人は「得る」ことを望む気持ちよりも
「失う」ことを恐れる気持ちのほうが強いと言われています。
何かを夢見る向上心よりも、
悔しさを避けんとする向上心のほうが強い場合が
往々としてあるのではないでしょうか。

できないことを悔しく思うことは、成長に役に立つのではないかと思います

また更新が遅くなってしまった。。。
また寝落ちしてしまった。。。
またやるべきことを後回しにしてしまった。。。

今日も悔しい気持ちをもって、頑張っていきます!

では、また日曜日に。

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