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2017年8月27日日曜日

マインドフルネス瞑想

どうも、緋那です。
週に1度の更新を目標にしていたのですが、3週間音沙汰なくてごめんなさい。
時間がなかったわけではないのですが、現実逃避にいそしんでいました。

さて、今回のタイトルである「マインドフルネス瞑想」、聞いたことがありますか?

「今この瞬間」に意識を集中させることで脳を休めるというもので
不安の軽減や、パフォーマンスの向上が望める、というもの。

朝の情報番組でやっているのを見て、
とりあえず面白そうだしやってみるか、という感じで試してみました。

具体的な方法は
1、背筋を自然に伸ばして座る
2、目を閉じて10分間呼吸に集中する
3、深呼吸を3回して目を開く

雑念がわいても放っておいて、呼吸に集中することが大事なのだとか。

もともと集中力は高い方で、
演劇サークルで呼吸に意識を向けるというのもやったことがあったので
楽勝じゃん、と思ってやったのですが

ありえん難しい。。。

効果があったとかなかったとか言えないレベルで
次から次へと雑念がわいてきて、
自分ってこんなに雑念の塊だったんだなぁ、と発見。

回数重ねれば多少は改善するかな?と期待を込めて、
毎日ではないですがちょこちょこ続けています。

うまくいって、効果が実感できたらまた報告します。

※マインドフルネス瞑想に興味を持った方は、やり方を一回ご自分で調べてください
このブログの説明じゃたぶん適当過ぎる気がするので。

では、今日はこの辺で。

2017年8月7日月曜日

今月の目標~2017年8月~

お久しぶりです、緋那です。
無事テストが終わり、
部活も夏オフで練習がない期間だったので
旅行したり帰省したり。。。
悠々自適夏休みを過ごしておりました。

部活のオフも終わり、今日からまた元気に東京生活を送ろうということで
ブログの更新も再開します。

さて、7月の目標は
1.最低週1回更新。長く書けそうになくても問いだけでも発するようにしようかと。
2.寝落ちはしない。寝るときはしっかり寝る。
3.できるときにはやくやる。先延ばしにしない
だったわけですが。

あえなく撃沈、という感じですね。

7月中の更新が3回とか1.は明らかに守られていませんし
2.もむしろ1か月の3分の1くらい寝落ちしていたのでは?というほど
3.に関しても先延ばしにしまくった結果テストが大変なことになった科目もありました。
結果が出るのが怖いですね。

さてさて、8月の目標は
1.週1回更新(土曜日)
2.日付が変わる前に就寝
3.『7つの習慣』の読破
ですかね。

8月は部活が変則的なのですこーし大変ですが、
ちゃんと更新していけるよう頑張ります。

2017年7月23日日曜日

物語の世界って恐ろしい。。。

こんにちは、緋那です
今回は珍しく、前回の宣言通り日曜日に更新できました。

小説、って面白いですよね。
自分とは全く違う人間の人生をなぞるような、
知らない世界を見せてくれるような。

いわゆる文学ではなくライトノベル、
それも小説投稿サイトなどの素人の書いた小説をメインで読んでいるので
大っぴらに本が好きだなんていうつもりはないんですけど、
それでも物語の世界は割と好きです。

そんな「物語」なんですが、最近すごいことに気が付いてしまったんです

物語の中で「真実」は好きなように創り出せるんですよ。

物語の中における真実だけじゃなくて、
世の中、普遍的に適用できる真実に見えるようなものも、
簡単に創り出せてしまうんですよね。

例えば、
死者が生き返るだとか、
魔法が使えるだとか、
タイムスリップするだとか、
そんなことを本気で信じるような人はほとんどいないだろうとは思うのですが

例えば、
いいことをしていたら誰かが見ていてくれていつかは評価される、だったり
信じる気持ちには願いをかなえる力があるから全員が信じることが大切だ、だったり
壁ドンで女の子を惚れさせることができる、だったり
そういったことは本気で信じる人もいるんじゃないかなって思うんです

物語というのは行為も、それに伴う結果も、作者が好きなように考えられる世界。
だからこそその中で起こることの因果関係は現実のものに似ていたとしても
全く同じものというわけではなくて、あくまでもその作品の中の世界の話なのです。

とはいえ。
常に全てを疑ってかかっていたら
物語を楽しむどころではなくなってしまうような気がするので。

鵜呑みにはしないようにする、という程度で
ほどほどに付き合っていくのがいいんじゃないかなぁと
月並みなことを言って締めたいと思います。

では、また来週。

2017年7月19日水曜日

迷惑をかけちゃいけないって本当?

こんにちは、緋那です。
またしても更新が遅くなってしまってすみません。

一般的に「迷惑」ってかけちゃいけないって言われますよね。
でも、なにがなんでも迷惑かけちゃいけないかって言うとそうでもなくて
かけないほうがいい迷惑とかけてもいい迷惑ってあると思うんですよね。

例えば
公共の場所で騒いだり
道いっぱいに広がって歩いたり
自分で簡単にできることを人に押し付けたり
そんな迷惑はやっぱりかけちゃいけないものだと思うんですが

例えば
薄着で居たら意外と寒くて、上着貸してくれる人がいるときとか
忙しいところにさらにタスクが降りかかってきて、頼める人がいるときとか
体調崩して動けなくて、スポドリ買ってきたり雑炊作ったりしてくれる人がいるときとか

サクっと頼っちゃえばいいじゃん?
って思ったりするわけですよ。

だって、迷惑かけられる側にしたらそんなの大したことなくて、
かけられた迷惑以上にかけた側の幸せが大きければそれってプラスじゃないですか?

ただ、そうやって自分のために迷惑を被ってくれた人に対して
暗い顔して「ごめんなさい」っていうのってナンセンスだと思うんですよ。

そんな顔させるために頑張ったんじゃないよ、って気がしません?

明るい顔で「ありがとう」って言った方がお互い幸せだと思うんですよね。

かけてもいい迷惑を周りにかけつつ、
その代わり、かけた迷惑は自覚して、迷惑を被ってくれた人には感謝して、
自分もしっかり周りの迷惑を被りながら生きていけばいいんじゃないんですかね
迷惑をかけてかけられて、そうやって生きていけたら
プラスが積み重なって、いい人生になるんじゃないかなぁと思ったり。

では、今日はこんなところで。
次こそ日曜日には。。。

2017年7月9日日曜日

今月の目標〜2017年7月〜

お久しぶりです、緋那です。
しばらくレポートやらなんやらに追われていて
ブログどころではなかったので更新が止まっていました。
更新を楽しみにしてくださった方(がいるかわかんないですけど)ごめんなさい。

さて、月初めの更新ということで7月も1/3終わったところで
先月の目標反省と今月の目標をば。

先月の目標は
1. 毎週水曜、日曜の週2回のブログ更新
2. 12時までに寝る健全な生活
3. 「その話を聞きたいか」を考えて話す
でしたね。

1.は6月中はいい線いっていましたね。
水曜、日曜にピッタリ更新することはほぼなかったものの、
週に2回の頻度はかろうじて守れていました。

7月に入って頻度ガタ落ちですが。

2.は。。。ほぼほぼ守られていませんでしたね。

3.はちょっとだけ進歩、程度ですかね。
1日1,2回くらい話すのを思いとどまれるようになったかな?くらいで。
要継続といったところ。


さて、学期末。
レポートもテストも襲いかかって来るこの時期の目標は

1.最低週1回更新。長く書けそうになくても問いだけでも発するようにしようかと。
2.寝落ちはしない。寝るときはしっかり寝る。
3.できるときにはやくやる。先延ばしにしない

ということで、今月も頑張っていきましょー
では、また水曜日に。

2017年6月30日金曜日

「変」と言われる孤独

こんにちは、緋那です。

今日は少し、というかかなりパーソナルな昔話でもしようかと思います。

中学・高校時代、私は長く孤独感に苛まれていました。
友達は何人かいることにはいたのですが、
それ以上に周囲の人たちから向けられる

『私たち』とは違う

と言わんばかりの言動に、
世界から爪弾きにされたような、
強い疎外感を感じていました。

いや、もちろん全く同じ人間なわけではないんですけど、
「変わってる」
「特別」
「緋那はいいよね」
なんて言葉で見上げられて、
同じ世界に生きていることを認めてもらえないような、
私と世界との間に一線引かれるような、
そんな感覚をいつも感じながら、生きていました。

けれどそれも今思えば、当然のことだったのかもしれません。
私が通っていた中・高はしがない地方の公立校。

住んでいる校区で機械的に分けられただけの中学でも、
いわゆる超難関・難関大学への進学率は決して高いとはいえない高校でも、
東大に受かるような「頭のいい」生徒は多くなく、
女子の世界に限ればほとんどいなかったのです。

中学・高校での評価で一番大きな比重を占める「勉強」において、
自分よりも圧倒的に高い水準の人間を考えに入れていたら、
自分が「できない人間」になってしまうから。

あるいは、自分の持つ価値観と大きく異なる価値観を持って生きる人と一緒に生きるのは苦痛だから。
自分とは違いすぎる価値観を理解しようとして、努力するのは大変だから。
違う価値観に触れて、自分の価値観が揺るがされるのが怖いから。

だから、隔離した。

きっと防衛本能だったんだろうと思います。


そんな疎外感が薄れたのは、
とある友人との出会いと、東大への入学でした。

その友人は、高校卒業後にそのまま就職することになっていました。
彼にとって勉強は大事なことではありませんでした。
そして彼にとって、人の価値観が自分と違うのは当たり前のことでした。

東大の人たちは
私よりもよっぽど頭がいい人ばかりですし、
大学という性質によるものなのか、東大という性質によるものなのか、
自分と違う価値観を受容することに抵抗がない人が多く、
それどころか自分の価値観と比較し、討論する人が多いように思います。

もしもあなたが私と同じように悩んでいるとしたら、
東大に入ってみるといいかもしれません。
あるいは「友人」のような人を探してみてもいいかもしれません。

もしもあなたの周りに、私と同じように悩んでいそうな人がいたら、
私はあなたと同じ世界に生きていると思っているよ、と伝えてあげてください。
それだけでもきっと救われるはずです。

では、長くなりましたが、また日曜日に。

2017年6月26日月曜日

ゴレンジャー

こんにちは、緋那です

私は今3年生で、来年4年生になります。
それに伴って、私の代から1人主将を出すことになるのですが、
その話し合いが昨日行われました。

結論から言うとそもそも主将に立候補すらしなかったので
私が主将になることは当然なかったのですが、
私は部にとってどういう存在であるべきかなぁなんてことを
考えるきっかけにはなりました。

いわゆる戦隊ものはゴレンジャーで成り立っているものが多くて、
だいたい下みたいな感じになっています

情熱、行動力でぐいぐい引っ張っていくレッド
冷静に全体を俯瞰して方向を修正するブルー
グループ内での衝突が起こらないように立ち回るグリーン
おちゃらけたキャラで場を楽しませるイエロー
華やかさや癒しを与えるピンク

もちろんリーダーはレッドで一番目を引くのもレッドなのですが、

誰もがレッドである必要はない

のです。

当たり前といえば当たり前ですよね。

レッドだけの戦隊グループとか、見るに堪えない気しかしません。
集団としてまとまるイメージが持てません。

で、私は何かなーと考えると
レッドのように誰かを引っ張っていくようなモチベーションはぶっちゃけないし、
ブルーほど冷静でも視野が広い人間でもないし、
グリーンみたいに衝突が起こらないように立ち回るとか苦手分野の極みだし、
ピンクの華やかさ、やさしさ、包容力的なものを持ち合わせてるとは到底思えないので

まぁ、イエローかなと。

辛い時こそ、力強く笑ってみせる。
いるだけで場が活気づくような、
話すと自然と元気をもらえるような、
そんな存在になってみせる。
誰よりも身近で話しやすい先輩になってみせる。

あなたは、今いる集団の中でどんな人なのでしょうか?

では、また水曜日に。

2017年6月22日木曜日

悔しい、という感情

こんにちは、緋那です。

私は悔しいの塊です。

高校時代、
問題を解けなかったことがとにかく悔しくて、
だからこそ次こそは絶対解いてやる!と躍起になり、
どこがわからなかったのか、どうしたらよかったのか、
同じ問題に再挑戦するときは、強く記憶に残っていることが多かったのです。
すると大概の問題は2回目には解けるようになり、
4,5回も解き直してなお解けない、という問題はほとんどなかったように思います。

部活でも、
勉強でも、
バイトでも、
人間関係でも、
向上心の源の大部分を「悔しい」が占めていたように思います。

一方で私の友達に、「悔しい」という感情が理解できないという人がいます。

彼は、何かうまくいかなかったことは自分の力不足であり、
次回以降不足部分を補えばいいだけのことだから
「悔しい」という感情を抱くことがない。それどころか、理解できない。

「怒られて悔しいと思わないのか?」と上司に言われても、「はい」としか答えられない

というのです。


そこで思うわけです

悔しいって何だろう

どうして人は悔しいと思うのか、
どういうときに悔しいと思うのか、
悔しいと思うことにどれほどの意味があるのか、
悔しいと思わないことは間違ったことなのか。。。

完全に持論なのですが、

結果に自信があるとき、予想に反して悪かった結果に対して本能的に拒絶する感情

が、悔しいなのではないかなと思うのです。

結果に自信がある、というのの根拠は
一度成功させたことがあること、かもしれないし
できる限りの努力をしたこと、かもしれないし
地頭や能力への自信、かもしれませんが、
なんにしても「達成できるだろう」「達成するに違いない」と思っていることに対して
実際の結果が伴わないと悔しく感じるのではないでしょうか。

そして悔しいというのは不快な感情です。
できれば、二度とは味わいたくない感情だと思います。
だからこそ同じ過ちを繰り返さないように努力し、結果は改善されていくのです。
悔しい、という感情は成長を促してくれるものだと思うのです。

悔しい、と思わなければ成長はない、とまで言うつもりはありません。

成長して目標を達成することができれば
楽しい、あるいは嬉しいでしょう。
あるいは誇らしいかもしれません。

それらを理由に努力し向上心を持つことは可能だと思います。

しかし、一般的に人は「得る」ことを望む気持ちよりも
「失う」ことを恐れる気持ちのほうが強いと言われています。
何かを夢見る向上心よりも、
悔しさを避けんとする向上心のほうが強い場合が
往々としてあるのではないでしょうか。

できないことを悔しく思うことは、成長に役に立つのではないかと思います

また更新が遅くなってしまった。。。
また寝落ちしてしまった。。。
またやるべきことを後回しにしてしまった。。。

今日も悔しい気持ちをもって、頑張っていきます!

では、また日曜日に。

2017年6月21日水曜日

とうとうこの季節がやってきた

こんにちは、緋那です。

梅雨、ですね。
完全に空梅雨ですが。

梅雨の季節ということはつまり梅の季節なわけで、

つまり、梅酒の季節なわけです

去年の秋に成人した私にとっては初めての梅酒の季節です。

私の趣味のひとつが果実酒を漬けることで、
おまちかねの梅酒の季節にテンションがかなり上がっています。

女子大生にしては渋い趣味だなー、と自分でも思ったりしてるわけですが
果実酒を漬けるのって本当に楽しいんですよ。

例えば梅酒なら

梅の産地、品種(南高梅が結構多いと思いますが、群馬産とかもあります)
梅の熟度(青梅か完熟梅か)
使う砂糖(氷砂糖、黒糖、はちみつなんてものもあります)
使うお酒(ホワイトリカー、焼酎、ウイスキー、ブランデー、ラム酒、ウォッカ、ジン)
配合比
梅を取り出す時期

などなど、いくらでも条件を変えることができるのです!

スーパーや八百屋を回ってお手頃で美味しそうな梅を探したり、
スーパーや酒屋を回って出来上がりを想像しながら原料のお酒を探したり、
結局今回の梅酒づくりには材料の調達だけで5時間かけちゃいましたw

果実酒づくりの醍醐味は1回漬けたらそれで終わり、というわけではもちろんありません。
飲める時期(3か月くらいから飲めるようです)を待つ間には
時間が経つにつれて変わっていく色、香りを楽しみ、
飲めるようになってからも、
違う原料で漬けた梅酒の飲み比べはもちろん、
3ヶ月、6ヶ月、1年と期間の長さによる味の変化も楽しめます。

今年は、
青梅(1㎏)×黒糖(500g)×ホワイトリカー(1.8L)
黄梅(500g)×氷砂糖(500g)×米焼酎(0.7L)
黄梅(500g)×氷砂糖(500g)×ウイスキー(0.7L)
で漬けますが、どんなお味になるのか。。。

期待に胸が膨らむばかりです。

さて、普段とは少し毛色が違う気はしますが、今日はこんな感じで。
また、次回。

2017年6月15日木曜日

友達、ってなんだろう

こんにちは、緋那です

突然ですが、私は友達が少ないです。

友達と呼べるような人は
地元に4人、東京に3人、関西に2人、
といったところでしょうか。
(あ、意外と多い。。。)

正直なところ、
今一緒に部活をやっているメンバーは
基本的に「同期」であって、「友達」ではありません。
学部にも友達はいません。
寮住まいなのですが、寮にも友達と呼べるような人はいません。

「冷たい人」とか「寂しい人」というような印象を持たれるかもしれませんが、
情がないとか、孤独を愛するとか、そういう人間では決してないのです。

私にとって友達とは、

一緒にプライベートな時間を過ごしたいと思う人

なのです。

ワイワイみんなで楽しく騒ぐとか、
一緒に行く人がいないからとりあえず誘ってみるとか、
コミュニケーションが足りないから食事の場を用意しようとかではなく。

その人に会いたいから。
その人と話したいから。
その人といると居心地が良いから。

遊んだり、食事をしたり、まったりしたり。
自分から誘って、プライベートな時間をその人と一緒に過ごしたいと思えるような人。
それが私にとっての友達なのです。

そんな人、なかなかいなくないですか?

広辞苑的には
「友達」は「親しく交わっている人」らしいですが。
私的には
「友達」は「一緒にプライベートな時間を過ごしたいと思う人」ですが。

あなた的には
「友達」は何ですか?

一度考えてみても面白いかもしれませんね。

コメントしてくれると喜ぶかもしれません。
いろんな人の考えに触れるのは面白いですからね。

では、今日はこんなところで。
すこし更新が遅くなってしまってすみません。

2017年6月11日日曜日

明日

こんにちは、緋那です。

明日やることは決まっていますか?

もう今日も遅い時間ですし、ほとんどの人が決まっているでしょうね。

では、

明日があることは決まっていますか?

もうあと1時間もしないうちに明日がきてしまいます。
おそらく、これを見ている人のほとんどが明日を無事迎えられることでしょう。
でももしかしたら、そのわずかな時間に、

心臓発作で死ぬかもしれない。
睡眠時無呼吸症候群で死ぬかもしれない。
寝煙草が家に引火して死ぬかもしれない。
強盗が入ってきて死ぬかもしれない。
大地震が起きて死ぬかもしれない。

明日が来る保証なんて実はどこにもないんですよ。
人間、いつ死ぬかなんてわからない。


だから、

いつ死んでも心残りのない人生を送ってください




なんて言うつもりはありません。

いつ死んでも心残りのない人生を生きてたら、
もし明日が来てしまったときに生きられないですから。
心残りこそが毎日の生きる力の源泉でしょうよ。

いやそもそも、○○しましょう、なんて上から目線で言うこと自体、
おこがましいというか、性には合わないんですけどね。

とはいえ、多くの人がこうなってしまっているのではないかなと思うのです。

もちろん皆忙しいと思うので、
「やらなきゃいけないこと」なんかいっぱいあって、
それはもちろん残っているんだと思うんですけど、
死ぬ直前に思い出されるような、

せめてあとこれだけは、、、

なんていう心残りって
実はないんじゃないかなって思うんです。

ただ、「幸せ」という観点で見れば
ある方が幸せなのか、ない方が幸せなのか。
それは本当に人それぞれな気はしますけど。

個人的には、

いつ死んでも後悔はなくて心残りはある

みたいな人生を生きたいと思ってます
実際は後悔ばっかり、ですけど
心残りは、まぁ、それなりに、ありますね

さて、今日はこんなところで
また、次の水曜日に。

2017年6月7日水曜日

働き始める

こんにちは、緋那です。

私は今大学3年生で、絶賛進路考え中です。
大学を卒業して就職するのか。はたまた大学院に行くのか。

正直なところ、自分の専攻に関係した職業に就く気はあまりありません。
では、大学院に行かないで就職してしまえば、とも思うのですが、
あと2年親のすねをかじって自由な身分で居られると思うと、
院進したいなと思わないではありません。

そんなことを悶々と考えているうちにふと思いました。

専攻に関係のある職業に就く人はどのくらいいるんだろう

と。

医学部医学科や法学部など、国家試験に通じる学部なら
ほとんどの人が専攻に関係した職業に就くのかもしれませんが。

会社で言えば
コンサルティング会社、商社、広告代理店、シンクタンク、各種メーカー。。。
職種で言えば
コンサルタント、営業、新規事業開発、データサイエンティスト。。。

大学での専攻なんて関係のない学科不問の求人がゴロゴロあります。

つまり多くの企業は

大学で身に着けた専門的な知識、技能を人材に求めていない

わけです。
(もちろん、例外はあります。「多くの企業は」というだけです)

ですが、そういった企業のほとんどは大卒以上を採用します。

大学での専門的な学習を必要としないのに
高卒では採用しない

というわけです。

ではなぜ大卒生しか採用しないのでしょう?

大学を卒業したら最低でも22歳。
そのくらいの年齢まで成熟した人が欲しい。

専攻云々ではなくて、大学教育の中で共通に学べる”教養”を持った人材がほしい。

大学で人生経験を積んだ人材が欲しい。

もっともらしく聞こえますね。

ですが、実は大学1年生から長期インターンシップが可能な会社は結構あるのです。
そして、そういった会社も高卒生向けの求人を出していない。

これって矛盾してませんか?
大学1年生が働けるなら高卒生も十分働けるはずじゃないですか。

会社側にしてみたらインターンシップ生は正社員よりも
給料的にも安いし
各種福利厚生もいらないし
一生養っていく覚悟がいらない
みたいなところはあるのかもしれませんが...

高卒での就職の現状は、正直厳しいものだと思います。
基本的には肉体労働。一生現場。
そんなイメージです。

だからこそ”優秀な人材”は、大学に行く。
たとえそこで、将来に生きない勉強をすることになるとしても。
大学で勉強したことが将来に生きるのではなくて
大学に行くことが将来に生きるのだから。

そして、企業は”優秀な人材”である大卒生、あるいは大学院卒生を雇用する。

きっとそんなところだろうと思います。

でも、それが社会にとって本当にいいのでしょうか?

少子高齢化が進んで、働き手の減少が叫ばれている昨今、
定年の年数を伸ばしたり、定年後も働ける会社が出てきたりと
高齢者を働かせる動きはよく見られますが、
子供を働かせる気はないんでしょうか。

例えば、東大に入れるポテンシャルをもつ高校生が、
高卒で働きたいと思えるような就職先があれば。
大学に通うはずの4年分、働いてもらえば。
きっと将来に生きない専攻を学んで、
単位だけ拾い集める大学生活を4年間送るより
よっぽど本人の力にもなるし、社会のためにもなると思うのです。

もちろん、大学が不必要だというつもりはありません。
研究機関としての大学も、研究者を育てる教育機関としての大学も、必要だと思います。

けれど、こんなに多くの人が大学に通う必要はないんじゃないかなーと思うわけです。

まぁ、だからといって私に何ができるわけでもありませんが。

今日はこんなところで。
また、日曜日に。

2017年6月5日月曜日

今月の目標〜2017年6月〜

お久しぶりです。
緋那です。

またしても2週間ほど投稿が滞ってしまってすみません。。。

とりあえず月が変わったことですし、目標の反省と新しい目標をば。

先月の目標は
1. 毎日ブログ更新
2. 5時半に起きる朝型の生活
3. 部活ができなかった日はランニングする

だったわけですが。。。

3.しかできてない(^◇^;)

原因は割と明白で、
1.も2.もハードルが高すぎたんですよね

普段ランニングしてない人間がいきなり、フルマラソン走ろう、みたいな
ちょっとずつちょっとずつ慣れていくようにしなきゃなぁという反省です

ということで6月の目標は!

1. 毎週水曜、日曜の週2回のブログ更新
2. 12時までに寝る健全な生活
3. 「その話を聞きたいか」を考えて話す

ということで、まずは小さいことから。
なお、3.は話してばっかりの自分をちょっとだけでも変えるために。

まぁ、そんなこといってたらこんなブログやってられないんですけどね。。、
人の目標なんか聞きたいかって聞きたいとも思わないだろうし。。。

そこは大目にみて下さいな、ということで。

ではまた。次は水曜日に。




2017年5月22日月曜日

何のために勉強をするのか

こんにちは、緋那です
長らく更新をサボっちゃいました、ごめんなさい。。。

さて、今日は勉強についての話をしたいと思います。

勉強に何の意味があるんだ!

と思ったことはありませんか?

小説の登場人物の気持ちなんか作者に聞け、とか
社会に出て三角形の面積求める機会なんかない、とか
原子とか分子とか何に使うんだ、とか
鎌倉幕府が開かれた時代が1192年だからなんなんだ、とか。。。

社会に出てもろくに使わないようなことを勉強するために
9年間も義務教育があるなんて。。。と考えたことはありませんか?
高校まで進めばもっと実生活から離れていくような気さえしますね。

では、勉強をすることに意味はないのでしょうか?

もちろんそんなことはありません。
3つ、私の考える勉強が大切な理由を挙げてみます。

1、学ぶ内容そのものが大切
これは国語全般、数学の四則演算や確率、社会科、英語全般なんかが当てはまります。
国語や英語は実生活に使います。
小説の登場人物の気持ちを考えられるようになればきっと人の気持ちを考えやすくなることでしょう。
グローバル化が進んでいる今、英語が重要なのは言うまでもありません。

歴史は細かい年号や人名こそ重要ではないものの、流れはとても大切です。
何を目的として政府は何をしてきたか。その結果何が起こったか。
これらを知ることは、日本の、あるいは世界の未来を見ることにもつながります。

大人になってからの勉強はこれがメインになるのではないでしょうか。

2、学ぶというプロセスが大事
数学の図形や微分積分、理科系の応用問題あたりが当てはまるのではないでしょうか
前提条件をもとに、定理や公式などの手段を用いて、速く正確に結論を導く
勉強することで頭の使い方を訓練するのです。

また、大人になって学びたいことができたとき、
どうやって勉強したらいいかわからないでは困ります。
そうならないように、勉強の仕方を身につけて行く、という側面もあるように思います。

提出物やテストなどの期限に合わせて勉強を進める計画性、
遊びなどの誘惑に負けずに勉強をする自制心、
周りの人に教えたら教えられたりする協調性などなど、
勉強を通してさまざまな能力を伸ばすことも期待されます。

3、評価基準として重要
勉強ができる人が人間的に優れていて、
勉強ができない人が人間的に劣っている
と一概に言うことはできません。
ですが、勉強の出来・不出来は頭の使い方や上述のような各種能力の高さを反映し、
各種能力が高い人の方が関係を持った者や団体に利益をもたらす可能性が高いものです。
だからこそ評価基準として用いられることが多くあります。
点数という形で明確に比較することができるというのも評価基準となる理由の一つではあるでしょう。
なんにせよ、学生が他者に評価されるには
勉強ができる、というのが手っ取り早いわけです。

さて、上述のとおり、勉強するのは意味があると私は思うわけですが、
だから勉強を頑張った方がいいですよ
とは言いません

これを読んで、
勉強をしたいなと思えばしたらいいし、
別にいいと思えばしなくていいと思うのです。
ただ、勉強をすることが持つ意味は知っていてほしいなと思っただけなので。

自分が生きたいように、生きてください。

では、また明日。

2017年5月14日日曜日

自己肯定感という支柱

こんにちは、緋那です。

あなたは、自分のことが好きですか?
自分のことを認めていますか?

謙遜の文化が根ざす日本では、この問いへ明確に肯定を返す人は多くないでしょう。
あれが苦手だから。。。
これができないから。。。
いつもこんな失敗しちゃうし。。。
そう思ってしまう気持ちはわかります。

ですが、完璧な人間などいません。
絶対に誰にだって苦手なことはあるし、できないこと、失敗することもあるでしょう。

そういったネガティブな事象1つ1つに目を向けていたら、
自己肯定感を抱けないことはなんらおかしいことではありません。
むしろ、当然ですよね。

ですが、
本当にそれでいいのでしょうか

たとえば、あなたの周りの自信に満ち溢れている人、
自己肯定感を強く感じている人を思い浮かべてみてください。

キラキラ輝いていませんか?
魅力的だと感じませんか?
人生を謳歌しているように思いませんか?

え?それは当たり前じゃないか、って?
十分魅力的だから自信があって、
人生を謳歌しているから自己肯定感が強いんじゃないか、って?

確かに、そう見えるかもしれませんね。
実際そういう人もいるかもしれません。

ですが、ほとんどの人は逆だと思うのです。
自信があるから物事はうまくいくし、
自己肯定感があるから失敗してもそれを生かすことができるのです。

自信や、自己肯定感は人生において必要不可欠です。

未知のものに飛び込んでいく勇気、
自分の意見を主張するに足る度胸、
誰かに否定されてもへこたれない打たれ強さ。。。

これらは自信や自己肯定感から自然に生み出されてきます。

傲慢になる必要はありません。
頑張った自分を認めてあげて、
できなかったことだけでなくできたことにも目を向ける。
ただそれだけです。

ほんの少しのことを意識して、自信や自己肯定感をもって生きていきましょう。

では、また明日。

2017年5月11日木曜日

受験直前期まで毎日1時間単語、文法の勉強を続けた理由

こんにちは、緋那です。

あなたは、英単語、英文法、古文単語の勉強をちゃんとしていますか?

あなたが大学生、あるいは社会人ならば、
単語の勉強をしていたか、思い返してみてください。

私は、高校3年の冬まで、毎日1時間近く単語や文法の勉強に時間を割いていました。
いつ始めたかは定かではありませんが、高校2年の中盤だったように思います。

そんなに長くやっていたのなら、
さぞ難しい単語まで覚えたのだろうと思うかもしれませんが、
決してそんなことはありません。

英単語帳は『速読英単語 必修編』
英文法書は『スクランブル英文法、語法』
古文単語帳は『古文単語330』
を高校3年の冬にやっていました。

速読英単語には必修編より上の『上級編』がありますし、
スクランブル英文法、語法も
センター試験やMARCH、早慶、難関国公立大学向け、という形で
東大受験の英語の参考書を検索しても名前は出て来ません。
古文単語330も東大古文の参考書としては名前が上がらないような単語帳です。

では、なぜ高校3年の冬という受験勉強の完成期まで、
その3冊を毎日1時間も時間を確保してやっていたのでしょうか。

それはとても簡単なことです。
基礎を完璧にするためです

いくら東大受験といえど、
出てくる単語自体のレベルがめちゃくちゃ高いわけではありません
ほとんどの教科書で扱われていないような特殊な文法が使われるわけでもありません

難しいことを知っているかどうかより
必要なレベルのものをいかに速く、正確に使えるかが重要になってくるのです


だからこそ、単語の雰囲気がつかめればいいのではないのです
意味が即答できること、綴りが正確にかけることが求められるのです

高いレベルに到達するために基礎を完璧にする。
これは決して東大受験に限ったことではありません。
勉強に限ったことですらありません。

スポーツも、アルバイトも、同じです。
きっとビジネスも同じなんじゃないでしょうか。

どんなに複雑に絡み合っていても、
1つ1つの要素に分解すれば基本的なものばかりで、
その1つ1つの精度が上がればそれだけ全体の完成度は高くなる

基礎は時間がかかって、面倒で、退屈です。
けれどそれが完璧に身に付いてこそ、高みへ到達できる。
きっと、これは何にでも当てはまる真理なのだと思います。

今あなたがやっていることの「基礎」はなんですか?

では、また明日。

『頑張る』ために必要なもの

こんにちは、緋那です。
最近更新頻度が2日に1回くらいになってますね。
5月の目標を完全に踏みにじってますね。。。

まずは、あなたに質問です。
『頑張る』って何ですか?


辞書的には、こんな感じらしいです。

がんばる【頑張る】

( 動ラ五[四] )

〔「我がに張る」または「眼がん張る」の転という。「頑張る」は当て字〕
①あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。 「 - ・って店を持とう」 「負けるな、-・れ」
②自分の意見を強く押し通す。我を張る。 「ただ一人反対意見を述べて-・る」
③ある場所を占めて、動こうとしない。 「入口には守衛が-・っている」

(デジタル大辞林 第3版より)



①の意味は馴染みが深いですよね。
「頑張る」といえばやはり「努力する」「力を尽くす」というような意味に思うでしょう。

②、③の意味はなかなか聞かないのではないでしょうか。
私は②の意味も③の意味も知識として聞いたことはなかったのですが、
①よりも②の意味の方が本質をついているような気がするのです。

自分の意見を強く押し通す。

その表面的なものとして「努力する」「力を尽くす」という行動が現れるだけなのではないか、と思うのです。

どういうこと?
と思ったことでしょう。


自分の意見を(あるいは意志を)強く押し通す
実現させるために首尾一貫して力を尽くす

それが「頑張る」なのではないかな、と私は思うのです。

そして、
自分の意見を(他人に対して)強く押し通す
自分の考えややっていることを他人に認めさせるために
自分が目標とする水準になろうと努力する

これもまた「頑張る」なのだと思います。

つまり、強い意志に裏打ちされた目標達成のための努力、なわけです。
個人的にはそれが困難に耐えていようがいまいが「頑張る」だと思うのです。

では、頑張るためには何が必要なのでしょうか。


そう、自分の意見です。
誰かに押し付けられたのではなく、
自分の意見としてある目標を達成したいと思うこと
それが頑張るために一番必要なのです。

勉強が頑張れない、
部活が頑張れない、
仕事が頑張れない、、、


もしあなたが何か頑張りたいのに、
あるいは頑張らなきゃいけないのに、
なかなか頑張れないでいるのなら、あなた自身に聞いてみてください。

それを頑張ることはどんな意味があるのか」

誰かの受け売りではなく、
うわべだけをなぞるような『模範解答』ではなく、
あなたの言葉で、心から納得できるような答えを探してみてください。
あなたなりの答えを、
あなた自身が信じ、強く押し通したいと思えたなら、
きっと頑張れるようになっていることでしょう。

あなたが頑張れるようになることを祈っています。

では、また明日。

2017年5月9日火曜日

大切な人を自分の命で救えるとしたら。。。

こんにちは、緋那です。

突然ですが、想像してみてください。
あなたは今、崖の前にいます。
その崖は下を見ても地面が見えないほど高く、落ちたら命はないでしょう。
そんなあなたの前には、大切な人と、「敵」がいます。

「敵」はあなたに、
今お前が飛び降りたらこいつの命は助けてやる。
と言ってきます。
「敵」はさらに、あなたの大切な人にも告げます。
お前が自ら飛び降りたら、あいつの命を助けてやろう
と。

2人のうち、助かるのはどちらか1人。
あなたは、飛び降りますか?

あなたなりの答えは決めましたか?

飛び降りれる人が勇敢だとか、
飛び降りれない人が臆病だとか、
そういう話をするつもりはありません。
あなたなりの結論をどうこういうつもりは、ありません。

私が聞きたいのは、
あなたがこの問いで何を考えたのか
ということです。

あなたが飛び降りることで、大切な人の命を救うことができる。
あなたはその大切な人のために死ねるのか、
大切な人はそれだけの価値があるのか。
あなた自身の残りの人生の価値とあなたの大切な人の人生の価値とを天秤にかけたことでしょう。

ただ、実はそれ以外にも大きな問題があることにお気づきでしょうか。
あなたが大切な人の目の前で死ぬこと。
言い換えれば、あなたの大切な人があなたの命の上で生きること。
それをその人がどう感じるか、それに耐えられるかまであなたは考えたでしょうか。


大切なもののために我慢したことが、
守りたいもののために無理をしたことが、
失いたくないもののために自分を犠牲にしたことが、
逆にそれを傷つけ、苦しめることもあるのです。

まぁ、だからどうこうというつもりもないですが。
自分は大切にしましょう、ということで。

また、明日。

2017年5月8日月曜日

異性の友情は成立するのか

こんにちは、緋那です。
早速ですが、ありきたりな質問をさせていただきます。

異性の友情は成立すると思いますか?

かなり使い古されてきた問いですが、あなたはどう考えますか?

私は、成立すると思っています。
小、中、高、大と友達の少ない学生生活を送ってきました。
今なお交流のある小、中、高の友達、
特段仲のいい、気の置けない友達は男友達で3人、女友達で2人います。
つまり、半数以上が異性の友達なのです。
(大学の友達は100%同性ですが。。。)

もちろん、と言っては何ですが、
恋愛感情をお互い持ったり持たれたり、
性的な対象として見られていたり、
一般に「友情は成立しない」といわれる論拠となる感情が全く存在してこなかったわけではありません。
それでも私は彼らと友達で居続けてきましたし、これからも居続けるつもりでいます。

では、なぜそんなことが可能なのでしょう。
異性の友情は成立する論者として、個人的に思い浮かべる理由をお話しいたします。

理由その1 「異性として意識する期間」を乗り越えたから
最初にして最大の理由はこれだと思います。
異性として意識できる期間、距離感ってやっぱり限界があるのだと思います。
私は今仲良くしている男友達のうち2人に恋心を抱いていた時期がありました。
あるいは、そのうちの1人からは恋心を抱かれていた時期もありました。
けれど、私が好きになっている時期には相手に彼女がいたり、
相手が好きになってくれている時期には私に彼氏がいたり。
気が付けばタイミングが合わないまま恋愛感情は薄れていき、
けれど距離は時間を重ねるごとに縮まって行った結果、
異性として意識しなくなっていきます。
するともう恋愛対象にはならず、友情が育めるようになるのです。

理由その2 「男」として慕うのではなく「人」として尊敬するから
私は相手のことが好きで、でも相手には彼氏がいて。。。
そんな状況で「友情」を続けるのではなく、静かにフェードアウトして「諦める」という人もいるのかもしれません。
というよりは、その方が多いのではないでしょうか?
恋愛として見込みがないのなら諦めて離れるのが一般的であって、
友人としてとどまるというのはツラいという人もいると思います。

ですが、私が友人で居続けるのは、ただ単純にその人のことを尊敬しているからです。
ただ「かっこいい」とか、「優しい」とかではなく、
この人に相談すると心が楽になる、
この人といると自分が成長できる、
この人には認められていたい、
などなど、相手のことを人として尊敬しているので、
その人が自分の彼氏にならなくても、独占できなくても、一緒にいたいと思うのです。
一緒にいるうちに気づけば恋愛感情は消え、尊敬だけが共にいる理由になります。

これで、男女間の友情の出来上がりです♪

これは完全に純粋な友情ではない、とあなたは思うかもしれませんね。
たしかに、友情を育むまでの過程には不純な感情を経由しています。
ですが、最後に残るのは純粋な尊敬と友情だけなのです。

あなたは、男女間の友情を信じますか?

では、また明日。

2017年5月6日土曜日

「時間」を創り出す夢のような方法

こんにちは、緋那です。

あなたも高校時代の私のように、勉強時間が足りない、、、と悩んでいませんか?

学校から帰宅して、
晩御飯を食べて、
風呂に入って、
少しだけ勉強したらもう日付が変わる時間。。。

先生にチェックされる課題や予習だけはなんとか終わらせるけど復習まで手が回らない。
単語帳の勉強をやる時間なんてあるわけがない。
問題集を2周、3周なんてできっこない。
毎日ドラマを見ているわけでも、すごくダラダラしているわけでもないのに、
どういうわけか勉強する時間が思ったより取れない。
しょうがないから眠い目をこすって無理やりにでも時間を確保するしかない。。。

そんな風に悩んでいませんか?

睡眠時間を確保しつつ、
のんびりする時間を多少なり確保しつつ、
無理なく時間を創り出せる夢のような方法があったら、、、

復習にも時間を取れてその日の学習内容がちゃんと理解できるようになるでしょう。
単語帳に継続的に取り組んで、テスト前の一夜漬けなどという無意味なその場しのぎに頼る必要もなくなるでしょう。
テスト期間前に1通り問題集を終わらせて、
テスト週間には2周目、3周目と取り組めるようになるかもしれませんね。
好きなドラマを追いかけたり、漫画を読んだり携帯をいじったり、
勉強をしなかったことに対する罪悪感なく自分の時間を自由に使えるようにもなることでしょう。

理想的だと思いませんか?

この夢のような方法が、学生しか使えないものではなかったら
もしあなたが社会人になっても(あるいは今のあなたが社会人でも)この方法は変わらずあなたに時間をもたらしてくれるとしたら。

最高だと思いませんか?

実は、そんな夢のような方法がこの世には存在するのです。

あなたの理想のタイムスケジュールをかくのです

何時に起きて、
何時に朝ご飯を食べ、
何時に身支度し、
何時に家を出て、
何時に学校(あるいは会社)につき、
何時に下校(あるいは退社)して、
何時に家について、
何時に晩御飯を食べ、
何時にお風呂に入り、
何時に勉強して、
何時にダラダラするのか。

できれば5分刻みで。少なくとも15分刻みくらいで書いてみましょう。
するとあら不思議。
朝ご飯から身支度の間に空白の10分があること、
家についてから晩御飯を食べ始めるまでのタイムラグを持て余していること、
晩御飯とお風呂合わせてなぜか2時間半もかかっていることなどなど、

これまで無駄にしていた時間に気づくことができるのです。

無駄にしていた時間に意識的になれば、今度はそれを排除することができるのです。
娯楽はダラダラタイムに押しやって、それ以外の時間をキビキビ動くのです。

それも、何時から何をするのか決めていますから、1つの行動が終わってから、
「次は何をしようか」などと悩む必要もありません。

これで、1日1時間以上は捻出できるのではないでしょうか。
だまされた、と思ってぜひやってみてくださいね。

さて、今日はここまで。
ではまた明日。

2017年5月5日金曜日

なぜ先輩を敬わなければいけないのか

こんにちは、緋那です。
今日は部活の試合がありました。

先輩は、敬うべきものでしょうか?
この問いに、大抵の人は肯定を返すでしょう。
「当たり前だ」と思うのではないでしょうか。

では、
なぜ先輩を敬わなければいけないのでしょうか?



当たり前だ、といえる答えは思いつきますか?

こんなことを直接先輩に聞いたら、
「年長者を敬うのは当然だ」
「常識的に考えればわかることだろう」
と言われてしまうかもしれません。
(そんな言い方で収めようとする先輩はどうかと思いますが)

もちろん、敬う理由は人それぞれでもいいと思うのですが、
小、中、高、大で運動部に所属してきた運動部歴12年の私なりの答えは

「自分が先輩の恩恵を受けているから」です。

運動部を例にしてみましょう。
先輩は、その部で練習している期間が長い分、プレーがうまいです。
その先輩のプレーを見て学ぶのは後輩の特権ですし、
後輩のプレーに対してアドバイスをしてくれることもあります。
後輩を含めた部活全体の雰囲気をまとめ上げ、盛り上げるのは先輩の仕事です。
後輩が悩んでいたら、調子悪そうにしていたら、声をかけて解決策を模索してくれることでしょう。
練習メニューを先輩が考えていることもあるでしょう。

単純に「年長者だから」「プレーがうまいから」敬わなくてはいけないのではありません。
「先輩方のおかげで今の部活がある」
「先輩方のおかげで自分が成長できる」
から敬わなくてはいけないのです。
と、言うより、それを自覚してしまえば
敬わなくてはいけない、のではなく、敬わざるをえない、のです

そして、逆に先輩は敬われるだけの存在でなくてはなりません。
上述のようなことをする義務があります

後輩を「言うことを聞く下僕」として見るなどというのはもちろんもってのほかです。
後輩ひとりひとりを1人の人として尊重し、寄り添い、高みに上る手助けをしなければなりません。

あなたは、先輩を敬っていますか?
敬われるべき先輩になっていますか?

これは、なにも部活に限ったことではありません。
社会に出てからも変わらないのではないでしょうか(私は大学生ですがw)
交友関係にまで拡大して、友人を敬えるような人間でありたいですね。

では、今日はこの辺で。
また、明日。

2017年5月4日木曜日

覚悟とは、何か。

こんにちは、緋那です。
今日は私の好きな漫画を紹介したいと思います!

少し古いのですが、、、

スパイラル~推理の絆~
(出版:スクウェア・エニックス、原作:城平 京、作画:水野 英多)

です!

連載は1999年の8月から2005年の10月まで(Wikipediaより)、ということで。。。

連載開始時の私は2歳か!(;゚Д゚)

思いがけず驚きの真実を知ってしまいました。。。
さて、私の驚きはどうでもいいですね。

ジャンルとしては「ミステリ漫画」なのですが、いわゆる推理なのは最初だけ。
回を重ねるごとに銃あり、爆弾あり、ナイフありの戦闘漫画に変容していきます。
とはいえ単純な戦闘だけに終始するのではなく戦略を練る議論の場面がしっかりと描き出されており、原作者はそこを指して「ミステリ」と言い張っていました。

少年漫画が好きな私としてはその戦闘シーンも好きなわけなのですが、
このシリーズが好きな理由は他にあります

それは
覚悟が強く強く描かれているからです。

成し遂げるための覚悟。
世界を救うための覚悟。
信じると決めた覚悟。
戦うことを決めた覚悟。

登場人物一人一人の抱く覚悟がまざまざと見せつけるように描かれています。
そして、その覚悟に至るまでに描かれる葛藤との落差が大きければ大きいほど美しい。

こんな生き方をしたい、こんな人になりたい、と思わせてくれるシリーズになっています。

結構古い漫画になって、今や中古本屋で安く売っているのでもしよければ読んでみてほしいです。

また、読み直したいな。。。

では、今日はこの辺で。
また明日。

2017年5月2日火曜日

鏡の中の自分のほうが写真よりも好きな理由

こんにちは、緋那です。
最近私はセールスライティングの勉強をしています。
その一環として今日は「影響力の武器」という本を読んでいたのですが、
長年の疑問が驚くほどきれいさっぱり氷解してしまったので感動しました。

その疑問についてお話しする前に、あなたに質問です。

 あなたは、鏡の中の自分と写真の中の自分、どちらが好きですか?

きっとあなたは鏡の中の自分のほうが好きなのではないでしょうか。

私も、そうなのです。
昔から鏡の中の自分のほうが好きでした。
写真の中の自分が思っているよりブサイクすぎて、
「なんて写真写りが悪いんだ」と憤ることばかりで、写真に写ることが嫌いなほどです。
鏡で見ている自分はそんなに悪くないのに、写真で見ると自分の顔に納得がいかなくなるのです。

それは、写真を撮られなれていないからだと思っていました。
撮られなれていないから、写真の中の自分はぎこちない表情になってしまうのだと思っていました。
しかしそうやって納得したふりをしながらも、「それにしても、違いすぎないか」とも思っていました。


そしてその疑問は今日解き明かされました。


私は自分の顔を、見慣れていなかったのです。

もちろん、私は毎日鏡で自分の顔を見ています。
朝顔を洗う時は当然鏡を確認しますし、
大抵の水道には鏡が目の前についていますから、無意識に自分の顔が視界に入るでしょう。
道路わきの喫茶店のガラスに映る自分の顔が目に入る時もありますし、風呂に入る時にも鏡は目の前にあります。

そんな風に毎日何度も何度も自分の顔を目にしていたにもかかわらず、
左右反転していない自分の顔はほとんど見ていなかったのです。
写真嫌いですから、月に1度ほども見ていなかったかもしれません。

だから私は写真の中の自分の顔が嫌いだったのです。
写真嫌いで写真に写った自分の顔を見ないから、私は写真に写ることが嫌いだったのです。

。。。
きっとまだあなたの頭の中には?マークがいくつも並んでいることでしょう。
なにせ、私は大切な原則を説明していないのですから。。。

その原則とは
私たちは馴染みのあるものに対し好意を感じる 
というものです。

だから私は、見慣れている鏡の中の自分のほうが、見慣れない写真の自分よりも好きだったのです。

あなたは、鏡の中の自分と写真の中の自分、どちらが好きですか? 
鏡の中の自分のほうが好きなのではないですか?
もし写真の中の自分のほうが好きだとしたら、
あなたはよく自撮りをしたり、家族との写真が家に飾られてあったり、と
写真に写った自分の顔を、頻繁に見たりしていませんか?

ということで、今日はここまで。
また、明日。

2017年5月1日月曜日

今月の目標~2017年5月~

こんにちは、緋那です。


今日から5月です。
部活で毎月自己目標を立てるのですが、これまで日常生活には目標を立ててきませんでした。
ですが、やはり人間は目標が明確にあったほうが努力しやすいもの。
ということでブログを始めたことを機に、毎月の目標を立てることにします。

1、毎日ブログを更新すること
 
これで投稿も4件目にはなりますが、今のところページビューは私のみ。
まあ、SNSで拡散していませんし、ほかのブログと相互リンクしているわけでもないですし、
「東大生の頭の中」で検索してみてもヒットしないわけですから、まあ当然というべきでしょう。
今見ている人がいなくても、そのうち誰かの目に触れると信じて、今はまず書き続けられるようにしたいと思います。

2、5時半に起きる朝型の生活にシフトすること 

一日生きると誰しも疲れます。
だから夜は眠いし、集中力も続きません。
受験期には眠い時に寝て朝は早く起きて朝から勉強していました。
大学生になって、授業後に練習する部活に入り、自然と夜型生活になりましたが、

「あれ? 受験期のほうが勉強する時間ちゃんと取れてたぞ。。。?」

ということに最近気づき、朝型生活に戻そうとしています。

自己啓発本などを読んでいても、やはり朝型を推奨するものは多いですし、
一度やってみる価値はあると思いますよ。

ついでに、これは実は4月下旬くらいから取り組み始めていたのですが、
早寝遅起きが1週間くらい続き、ようやく最近1回だけ5時半起床に成功しました。
睡眠不足が解消されてきた感じですね
 
3、部活に行けなかった日はランニングすること

授業の実験が長引いて部活に行けない日々が続いています。
土日しか部活に行けない、というような状況になってしまっており、
久しぶりの部活は体力的にきつい!

それも、もうすぐ試合あるし!

ということで、部活に行けなかった日はランニングします。
ただ、それだけ。
こんなところで宣言するほどでもない内容ですね。
ブログを読んでいるあなたからしてみれば、だからなんやねん、みたいな。

3つ目に限らず、どれも「そんなこと宣言されてもなぁ」というような感じですよね。
でも、こうやって宣言しておくとやっぱりやらなきゃなぁという気分になるものなのですよ。
だから今日は、私自身のために宣言してしまいました。

さてさて、今日はこんなところで。
また明日。

2017年4月30日日曜日

本当は何がしたいのか

こんにちは、緋那です。

昨日からGWが始まりましたね。
学校や仕事から解放され、
本を読んだり漫画を読んだり映画を見たり旅行をしたりショッピングをしたり。。。
あなたもやりたいことを満喫しているのではないでしょうか。

ではあなたに質問です。
日々あなたがやっていること、
GW中にあなたがやったこと(あるいはやろうとしていること)は
本当にあなたがやりたいことなのでしょうか?
あなたはそもそも、あなた自身がやりたいと思っていることがなにかわかっていますか?

やらなければいけないこと、ではありませんよ。
やりたいこと、です。

ついでに私は、割とよく見失います。
忙しければ忙しいほど見失ってしまうのです。(少ない自由な時間をそれに費やした方がいいのに!)
やらなくてはいけないこと、やるべきこと、やっておいた方がいいこと、
ときにはつかの間の現実逃避にばかり気を取られて
本当にやりたいことを見失ってしまうのです。

そんなときによく私が自分に問いかける質問がこちら。

もし寿命があと3か月だとしたら、何をしたいだろうか?


この質問は中学生くらいの時から折に触れて考えています。

例えば今の私なら授業はもちろん休みますが、
部活は大会が区切りになるまでは続けたいなぁと思っています。
(中高の部活は絶対にすぐやめていたと思いますが、今の部活は続けたいんですよね)
部活と並行して東京で友達に会いまくって、
半月くらい関西の友達行脚して、
愛知にはたぶん1か月くらい帰ります。
そして、自分が生きてきて感じたこと、考えたことを残します。
それはブログかもしれませんし、小説かもしれません。

そして次に考えるのです

それは今できないのか?

できることならやってしまいます。

部活や受験勉強をやめること、授業に出ないこと。これはできませんでした。
やりたいならやればいいという人もいるかもしれませんが、
少なくとも私はそこまでチャレンジャーになれませんでした。

けれど、小説は書きあげました。ブログは最近始めました。
時間の許す限り部活の同期や後輩、時には先輩を1対1でご飯に誘い、
いろんなことを話すようにしています。

将来がなくなったとしたら。
その前提で頭に浮かぶのはきっと本当にやりたいこと。
死ぬ前に、自分が世界に残したいもの。

ではあなたにお聞きしましょう。

もしあなたの寿命があと3か月だとしたら、あなたは何をしますか?
そしてそれは、今できないことでしょうか?

たまには、考えてみるのも面白いと思いますよ。

では、また明日。

2017年4月27日木曜日

はじめまして

はじめまして。
渡瀬緋那と申します。
もちろんハンドルネームですw

ようこそ、「東大生の頭の中」へ
このブログには、勉強のこと、部活のこと、人生のこと、、、日々思うことをとりとめもなく書き留めていこうと思います。
東大生ってこんなこと考えてる人もいるんだなー、みたいな、軽い感じで読み進めてください。

さて、まずは自己紹介をさせていただきますね。

渡瀬緋那(わたせひな)と申します。
1996年9月6日、愛知県に生まれました。
市立の小、中学校に通い、県立の高校に進学。
高校卒業後は東京大学に進学し、現在は東京に住んでいます。

東大生、なんていうと勉強ばっかりして生きてきたのではと思われがちですが、決してそんなことはありません。
小、中、高と運動部に所属、大学でも運動会に入りました。
実家には山のような漫画。600冊以上の単行本。
少年漫画も少女漫画も。日常系も戦闘系もミステリも。とにかくいろいろありました。
今でも某漫画アプリで毎日漫画を読む日々です。
アニメにハマったのは高校時代。毎朝ごはんを食べながら見ていました。
魔◯少女まどか☆マギカとか進◯の巨人とか、朝ごはん食べながら、平気で見てました。
ゲームは64(なんて言っても今時分かる人少ないんだろうなぁ。。。)とか、スーファミから、DSライトまであります。
中学時代にはオンラインゲームにはまっていました。
中学時代のもう1つの趣味は小説の執筆。ハンドルネームはこのときにつけました。

このころから言葉には興味がありました。

その言葉への興味が高じて、いまはセールスライティングの勉強をしています。
チラシとか、WEBページとかの広告を書く技術です。
このブログは、セールスライティングの練習の一環だったりします。

さてさて、今日はこんなところで。
では、また明日。